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2010年2月23日火曜日

英単語なら知っている仏単語

CAMION-CITERNE
キャミオン・シテルン


(和訳)タンクローリー

(英語)TANKER タンカー 

ルモンド22日付の記事「ドイツ首相はアフガン戦争に反対する国民の意見に反対した」の中でとりあげられている、09年9月4日のドイツ陸将の命令で現地のタンクローリーが砲撃された、というくだり、でであった単語です。キャミオンシテルンって言われても知りませんがな。タンクローリーって聞けば分かりますけどね。

2010年2月22日月曜日

戦後レジーム

象徴天皇 素顔の記録
今更ですが、これを見ました。
私は戦争を体験していません。現代史も授業では習わず、受験対策としておろそかにしてきたこともあり、今頃になってようやく日本の戦後史というものに正面から向き合う機会を得ました。

きっかけは、イコノグラフィーの政治のレポートテーマに天皇の歴史的イコノグラフィーを取り上げたことです。日本/権力構造の謎(カレルヴァンウォルフレン著)、表徴の帝国(ロランバルト著)、国破れてマッカーサー(西鋭夫著)、その他日本の政治家の著作の読書から、また、色々なインタネットサイトで天皇の写真を集めながら、自分がいかに無知であったかを知りました。

そして今上天皇及び皇后両陛下が、雲仙や阪神・淡路などの被災地を罹災後可及的速やかに慰問されるなど、「国民とともにある天皇・皇室」という象徴天皇制の模索を続けてこられたことに畏敬の念を抱くとともに、学問的な関心としては、アイデンティティーの政治で扱ったアンダーソン著「想像の共同体」における民族統一意識の形成に重要な役割を果たす「領土の巡礼」といった行為を両陛下自らが実践され、これが憲法にいう「国民統合の象徴」なる地位に由来しかつ回帰しうる行為であることを悟るにいたりました。

話はそれますが、終戦直後、日本が置かれた「占領」という状況は、実に過酷なものだったことが分かりました。詳しくは国破れてマッカーサーによりますが、私自身が沖縄や各自衛隊基地を回って体感した「ここは日本なのか?主権国家の主要基地を外国軍の基地領域が凌駕しているとは」との純粋な印象は、戦後から一貫して変わっていない。

戦後日本は朝鮮戦争、冷戦という世界情勢下、軍事はアメリカに委ね、遮二無二経済復興・発展に専念し、極東の小さな国でありながら、世界第2位の経済力、生活水準の高い豊かな暮らしを手に入れました(その過程がまさに「官僚たちの夏」でしょう)。しかし、置き去りにされてきたもの(沖縄から、日本から米軍がいなくなったとして、同じ防衛力を維持するためには、日本の軍事予算は相当程度増やさざるをえないでしょう。しかしながらこのような議論が活発にできるのはは疑問なしとしない状況。天皇制、愛国心教育など日本国家と民族の問題、歴史問題など)は本当に戦後からあまり変わっていないようです。それは、それだけ困難な問題でもあることを示しています。この点について取り組もうとした安部元首相のような人物もいましたが。

まずは自分の理解が進んだことで、これから外国人にエンペラージャポネについて問われても自信を持って答えられると思います。

2010年2月14日日曜日

聖闘士聖矢

ギリシア人の友達に、最近のユーロ危機についてメールしようと、ネタ探していたら、こんなものを見つけました。


聖闘士聖矢を熱唱するフランス人

これすごいです。フランス人なのに日本語で歌っている。
見たことがある人なら、きっとコスモを感じる(はず)