ようこそ!

人目のお客様です

2010年12月18日土曜日

アリエスの援護

返事が来ました。

「心配要りません。私とトマラデュクス(記者兼客員教授)でマルタンに当方さんの特殊な立場について、きちんと説明します。当方さんがこのコースに入学することを許可したのも、言葉のハンディキャップについては十分考慮に入れてのことであるからです。ですから、今回のトラブルにかかわらず、続行してください。」

少し安心しました。
ここ2日遺憾な思いに支配され、十分に眠れませんでしたが、責任者が大丈夫だといっているのだから今日は眠れそうです。








今日は1つ試験がありました。
10個の記事に、それぞれタイトル、導入、写真の説明、を書き加える、というもの。
 制限時間は2時間です。大意を取るだけで時間がかなりかかってしまい、辛かったです。

この練習は、しかし、限られた文字数でいかに豊富な情報量を与えるかが問われ、やや俳句的なセンスを問われるので、知的好奇心は刺激されます。

2010年12月16日木曜日

許さん

今日は辱めに会いました。

フランソワ・マルタン氏、ミディリーブル(地方紙)の編集長。

「おまえの仏語は、まったく仏語じゃない。ていうか読めない。ぜんぜん理解できないんだけど。ジャーリストって何か分かってるか?なんだこれは。俺どうしたらいいかわからないよ。困るんだけど」

と22人の前で、3回、授業後にも1回言われました。

こちらもどうしたらいいのか分からないので、
アリエス教授に直談判メールを送りました。

確かに当方のフランス語はジャーナリストを目指す人たちの中にあっては、お話にならないのは認めます。


しかし、このレベルの仏語で、まがりなりにも去年修士号を取得していますし、日常生活やその他の授業では問題なくすごしています。

また、
このようなやり方(嘲笑)、内容(当方の存在が困るかのようないいよう)は、人格否定ともとれ、大いにやる気を失ったのも事実です。

ともあれ、アリエス教授に苦情を送ったので、今日はこれで忘れます。

2010年12月13日月曜日

パリストア@モンペリエ(日本食)

 トラム2番線(赤)で郊外に向こうこと30分。終点から1つ前のSt jean le sec駅にあるアジア食料品店「パリストアー」。明らかに中国系のお店です。


パリに本店があるので、このように名づけられているようです。
従業員は多くが中国人でした。
 日本のお酢が売っています。その他、中国、台湾、韓国、ベトナム、タイなど多くのアジア食料品を販売していました。
出ました。お決まりの、模造品。

これ、明らかに「コ○ラのマーチ」ですよね、ぱくっていますよね。






日本食としては、出前一丁、日本製ドレッシング、豆腐(絹まである)、みそ、しょうゆ、つゆ、わさび、酒、茶(中国製)、いなりずしの皮、など割と豊富にあった。

小さい頃台湾でよく飲んだ「仙草蜜」という缶ジュースも発見。これを飲んで少しなごんだ。

お酒については。マッコリも置いていたし、ワンカップ大関まで、なかなか多彩な品揃え。



中国国内向けに輸入したものをそのまま世界中の華僑に配送するネットワークが存在するか、それとも、それがビジネスとして成り立つほどに華僑が多いということの証左ではないかと思われます。

2010年12月10日金曜日

インターンはどこでやってもOK

・特別に、私の場合、インターンは、新聞社以外で、役所の広報室で実施することもOKということになりました。その方が論文のテーマにも関係するし、好都合で、一安心(まだこれから各役所に受入依頼と許可をえないといけないですが)


・記事を書くため、地方長官庁持続可能な発展担当部署に電話。1月6日に面談予約。電話だと相変わらず緊張しますが、落ち着いて話すよう努めることが大事。


・日経ビジネスオンラインから、至言。戒めたいと思います。
その頃の私は、仕事の自信もついた頃で、職場では上下問わず友達感覚で言いたい放題。毒舌も吐いていました。大事なのは、言葉の底にあるもの。相手への敬意とか、全く意見の違う人も受け入れる度量、人の思いへの洞察のようなものなのではないか、と。
山根 基世 ことばの杜代表

2010年12月7日火曜日

クリスマスマーケットなどの風景

モンペリエのクリスマスマーケット@コメディ広場
今年から、オディッセウムの商業センターでもマーケットが開催されることになったと新聞に載っていたので、そちらも行こうと思います。
これはクリスマスマーケット前のオディッセウム。電飾はキレイです。



ポリゴン(コメディ広場近くの商業施設)内のおもちゃ屋前。

市長の掛け声による恵まれない子ども達へのおもちゃ集め(新品)。クリスマスをみんなで祝おうということだそうです。モンペリエには1000人以上の対象児童がいて、この3週間の間で集まりきれなければ、市長がお金を出して追加するといっていました。


ジャーナリストなのですが、と名乗ると、みんなかなり身構えますね。理由は色々考えられますが、

1)自分の意図と違うことを書かれうる。批判される。
2)社会的影響力が大きい(ペンは剣より強い)ので、漠然と不安

などでしょうか。

2010年12月5日日曜日

悪徳不動産屋との戦い(其の2)(動かぬ証拠1)



8月4日、銀行から連絡があり、水道代の小切手の名宛人が、故意に書き換えられていることが判明。

←MABとあるのを、

M(lle) B(lanc Marie-Laure)としています。

なお、マリロアブランというのは、不動産屋の奥さんです。







これを受け取ったとき、



「いい度胸だ。覚悟してるんだろうな。地獄見させてやるぜ。」



・・・という気持ちがこみ上げてきたのが半分、もう一方では、やはり信頼を裏切られたことに対する絶望感です。

この方が大きかったです。当方の中では、まだ信じたい気持ちも残っていました。





←銀行の担当者からのメール。

銀行「問い合わせの小切手の名宛人はmlle marie laure blancです」

当方「MAB宛に小切手切った。不動産屋の詐欺だとすれば重大ですので、書換がないか教えてください」

銀行「確かに名宛人書換の形跡あります。訴追のため今日付けで小切手お送りします」

2010年12月4日土曜日

悪徳不動産屋との戦い(其の壱)

そろそろ民事上の係争は収束に向かいつつあるので、少しずつ、事の顛末について書き留めてみようと思います。

(1)水道代
事の発端は、2月(参照)。元々09年11月から洗面台の蛇口がきちんとしまらなくなって、ぽたぽたと水が出ていたのですが、不動産屋に相談しても、大家が払うし大丈夫大丈夫しかいわず、当時の私にはほかに解決する手段がなかったので、ことあるごとに何とかしてくれと依頼するしかできなかったのです。

で、やっと水道管屋を呼んでくれたのはよかったが、水道代の超過料金を私に払えといってきたのです。そのときは、不動産屋を信頼していたので、特に請求書や明細書類などを提示されなかったけれども、言われたとおりマンションを管理している組合MAB
宛に、小切手350ユーロを切り、不動産屋に手渡しました。


(2)ガス代

ガス・電気の開通を不動産屋がやるというので、はじめから任せていました。
ところがガス代の請求がいつまでたってもきません。これも何度も問い合わせたのですが、大丈夫、としか答えない。

5月の引越しの段になって、ガスのメーターチェックのはがきが届いたので、不動産屋に相談したことろ、「ガス代を払ってないので大問題になる。」といって、深刻な顔でおどしかけてきたのです。

 
其の翌日に、知らない携帯から、


ガス代570ユーロ請求します。月末までに支払うこと。


というメールが届きました。

不動産屋に行って問うてみると、「ガス代は前の借主が払い続けていたので、其のメールは彼からのメールだ」といって、570ユーロ払うようにと言われました。

このときも、不動産屋を信頼していたので、また実際ガス代(といっても、そんなに使っていないはずなのですが)を支払えていないのは遺憾だったので、570ユーロの小切手をきりました。

さらに、その際、前の借主はジプシー(移動しながら物乞いしている)だから、名前と居場所がよく分からないので、支払先を空欄にしておいてと依頼されました。


よく考えると、其の時点で気づいて断るべきだったのですが、そうするとガス代を支払えず大きな問題になると言われて追い詰められ感があったこともあり、いわれたとおりにしました。

帰ってから、先の携帯メールが消去されていたことに気づきました。(携帯を見せるように言われ、不動産屋に携帯を渡していた)



おかしいと思ったのは、5月の引越しの際。
なぜか2度目の超過料金を求めてきたのです。電話で。このときはさすがに「は?こないだ1度払ったよね?おかしいと思うけど」と言いました。すると、あわてて電話を切って、あとで会ったときに「あれは大家が払っていなかったみたいだ」という言い訳をしていました。


ああ、これは怪しいなと思って、とはいえ、まだ引越しの手続き中でもあり、正面衝突するのは面倒だったので、6月、U田君にお願いし、会計担当官をかたって仏蘭西語のメールを送ってもらいました。内容は、

・水道代、ガス代について、請求書と領収書を出せ。
・知っていることを全て紙で説明しろ
・さもないと弁護士送る


といったものでした。

受信後すぐに電話がかかってきました。相当びびっていました。そのときは、

・水道の領収書(大家の名前で不動産屋がサイン)
・家賃の領収書(同上)

を渡してきました。

ガスについては、前の借主が書かないといけないから、といって、何も出してきませんでした。
→ 前借主は、なぜずっと払い続けておかしいと思わないのか、いますぐその前借主に電話をしろ、といってみたところ、「もうそいつはモンペリエに住んでいないから連絡先を知らない」。じゃあどうやって出会ったのか、小切手を渡せたのか、と問うと、「道で出くわした」。


これは埒が明かないと思い、まずは銀行から小切手のコピーを取り寄せることにしました。(これが、本当に時間が掛かりました・・・)


つづく。

論文とインターンの準備

今週は、論文の骨子を提出/インターン先の計画を実施しました。

・論文
記者クラブと役所の関係についての日仏比較、を取り扱おうかと思います。
去年は学位取得重視で英語で執筆しましたが、今年こそ仏語で 。

・インターン
ミディリーブル1ヶ月、もう1箇所どこかで1ヶ月が義務になっています。
不思議なのは、義務でかつ編集長が担当教授なのに、各自新聞社と交渉しなさいとなっているのです。それで滞在は大体6月末ー7月頭までの予定にしているので、4月ー5月の間にインターン、6月に論文ということにしないといけないのですが、4月は既に一杯で断られました。義務なのに断るってなんですかね。


・新聞に関する法律の授業
今日は弁護士先生による法律の授業でした。15-20時という遺憾な時間割。

インターンの時期をあけるため、修士課程とは思えない程度に、10月から2月は朝から晩まで毎日ぎっしり時間割が埋まっていて、それぞれが思い思いに課題(記事とかルポとか発表課題)を出すので、言語ハンディを負った状況では、死ねます。
 2月以降は、2月末が試験で、3月は実践演習、4月以降インターンと論文に充てることに。

なので、純粋に語学を勉強したり、日本の法律の勉強をしたり、読書をしたりするような時間がほとんど取れないのが残念ですが、見方によっては、充実している、ということかもしれません。