ようこそ!

人目のお客様です

2009年11月29日日曜日

2009年11月27日金曜日

かわせ

驚くべき下落。1ユーロ128円、生活にはありがたいけれど、日本経済大丈夫か?!
日銀がレートチェックしただけでニュースになるのも、為替介入に敏感になるのもよく分かりました。

2009年11月21日土曜日

ハードウィーク1

今週は充実しておりました。

月曜1限 ペレス「アイデンティティの政治」

出席生徒2名。 オレリアン君と私です。ええ。
毎回3つの論文(仏語又は英語)が課され、ボランティアが発表するのですが、2人ってことは・・・
私が発表できるよう準備していったのは、国境をまたがる共同体とされるバスクとカタロンについての論文でした。フランス側のカタロンは、鉄道その他の社会的ニーズを満たせる政府として、スペインではなく「パリ政府」を選んだとのこと。アイデンティティはこのようにしても説明できるもののようです。日本で言えば財政的観点からの市町村合併、壱岐対馬が日本とも朝鮮半島とも朝貢関係を結びながら最終的に日本に帰属したようなことを想起しました。

月曜2限 ジェニエス「南欧政治制度」

出席生徒4名。
教授自身の検討テーマである「国家ETATと制度REGIMEの違い」を発見するため、教授が抜き出してきた英語論文10人分のSTATEとREGIMEに関する論述から要素抜き出し表にする共同作業。私はパソコン持ち込んでいるのでライターを担当。ホワイトボードに略号やわけのわからん文字で書かれるとかけないのです。レジームをREGくらいならまだ分かりますが、TIONを小さい○と省略したり困りました。
仏蘭西の歴史上国家と制度の区別は困難であるため、アメリカやその他の国における定義を分析する必要があると考えているようです。



火曜
0限 スマール・論文指導
事前に送った論文計画案についてコメント。朝一からナチュラルスピードイングリッシュシャワーを浴びる。

1・2・3・4限 スマール「集中ゼミ EU政策」IN ENGLISH

出席生徒3名。(2日間しかないのに欠席の生徒がいることについて、「十分なサンクションが用意されるだろう」と笑顔を浮かべていました。恐怖・・・)
今週と来週で終了するEU政策のゼミです。教授は英仏バイリンガルで、このゼミはすべて英語で行われます。
12限と34限で、計2つの論文を読んで、各人が発表ペーパを作ってこなくてはなりません。(集中ゼミじゃなければ1週に1論文でよかったのに・・・) 発表はフランス語で、ということでしたが、英語を日本語脳で理解した後、フランス語に翻訳するのに3倍程度の時間がかかるので、とても無理なのです。教授に相談したら、英語でもノープロブレムということで、安心しました。
EUの設立や統合過程に興味を持ってはいたのですが、全く勉強したことがなかったので、大変興味深く新鮮でした。彼はポリティクピュブリクの担当教授であり、論文指導教授でもあるのですが、紳士的で、いつも出す事例が、小さな自動車工場の社長。彼はクルマが好きなようです。
(要旨。多分)
通貨統合によって周辺国の優秀な技術者は中心に集まり工場は周辺に移ることが促進されると考えられたが、イタリア、スペイン、ポルトガル、そしてギリシャのように貧困のままとどまった国が出てきてしまったので次の段階として、構造基金による周辺国への給付政策が採られた。

・・・実は、この日読んでいくべき論文を誤解しており、午前中はほかの生徒が読んでいる間に必死にコメントを考え、午後は12-14の間に使えないパソコン翻訳機で和訳し(イタリアをのこぎりで切ってくださいとかいう和訳がでます)それを基にフランス語のコメント案を書いてなんとか参加できました。ひさしぶりの瞬間最大風速でした。相当あせりました。

水曜日
1限 フェミニズム トルペル
出席生徒 2名
前日課題論文を読みながら寝たため、激しい頭痛によりダウン。来週は1つ発表を担当します。

木曜日
1限 スペインの政治 ダルヴィッシュ
出席生徒 4名
この日も、あやうく切れそうになっていたダル。最後のゼミということもあり、なんとか最後までお付き合いくださいました。それでも、やはり内容は面白いものでした。ギエルメさんの論文を基に、不確実な民主主義について議論。

-(おそらくレヴィストロース的ものの見方からの批判として、)民主主義は輸出可能なものだがアメリカの民主主義が一番進んでいるとの前提でその他の民主主義を位置づけることはひとつの見方だが、本来比較不可能なものであり、その国の文化社会に合うように変質しながら定着していくのが当然である、と言っていました。カルザイはあくまで選挙に
勝ったのだ、と。大体その文化をよく知りもしないくせに批判するんじゃないというような趣旨のことを言っていました。たとえば、ヴェトナム料理を食べて「いやあこの中華料理はうまい」というフランス人を批判していました。また黒人を見て「アフリカ人」という人がいるが、アフリカ人とは何だ?大陸の名前で区別できるのか?EUにトルコは入れるのか、日本はどうか?という「開かれた問い」で締めくくっておりました。

-民主主義には経済的余裕が必要と強調していました。貧困国に民主主義はなし。


午後 英語
出席生徒5名(フルメンバー)

可算名詞と不加算名詞。
英語の文法をフランス語で解説します。イギリスなまりのフランス語を及び英語を聞いていると、フランス語を聞いているのか英語を聞いているのか一瞬分からないときがあります。

否定文でマッチ、肯定文ではロットオぶを使うのが「自然だ」なんて、母校では習いませんでした。

日本人にとっては、中学生にもおなじみのマッチ・メニーまたはsomeと anyの使い分け、フランス人には結構苦痛なようです。というのも、フランス語にはその区別がないのです。水だろうと子どもだろうと、ボク(たくさん)なのです。
それにしても、オレリアン君は、ドイツ語が第1外国語で、英語が結構苦手なようです。

問 Would you like ( ) to eat?
( )内にsomething, anything, somebody, anybodyから選んでいれてください。

aurelien> ok....huhh.... c'est somebody! would you like somebody to eat?
prof> NO. some is ok, but... in french that's to say, voulez vous manger quelqu'un?( laughing )
aurelien> AH! D'accord! donc something?

オレリアン、「よし、ええっと、、、それは「サムバディ」です。would you like somebody to eat? です。
先生、「違う。サムはあってるわ。でも。。。フランス語でいうとそれは、あなた誰か食べたい?になるわよ。」
オレリアン、「ああ!わかった、じゃあサムシングですね!」

修士課程で中学1年生のミスみたいなのを見て、しかもフランス語でなので、少し送れて脳内に入ってくるため、妙につぼに入って、結構笑ってしまいました。ごめん、オレリアン君。

ところで、サムエニーをフランス語にすると部分冠詞なのだそうです。知りませんでした。
また、I don't have any pens. I have no pens. 同趣旨ですが、フランス人は前者の表現を好んで使い、イギリス人は後者を好むそうです。

2009年11月12日木曜日

西政治、発表了。UEDA君ありがとう。

 終わりました。
 レジュメ風読み原稿を配る作戦にて、まさに読経のごとく20分間フランス語を発音しました。
 K知県のY様に、「なんとかなります」と励ましていただきました。ありがとうございました。
 
 対象が権威主義体制と全体主義体制の定義と類型化の試みについてといった、非常に概念的なもので、読めば読むほど理解不能でしたところ、K課のUEDA君に和訳をPDFファイルにて送付いただきました。
もし彼がいなければ、発表がせいこうしなかったでしょう。実は、富山県、岩手県、文京区、宮崎市、佐賀県、奈良県の県立・市立図書館を調べても当該蔵書がなく、唯一中目●の図書館にのみ発見できたのです。UEDA君。どうもありがとう。

 結果は、まずまずでした。

#DARVICHE先生、怒ってでていくことが、ありませんでした(重要)。
#エクスポゼ(発表)には、一般的にレジュメを配らないようです。なので、私が作図も含めたレジュメ風読み原稿を配ったことについて、合理化への協力に感謝するとのコメントをいただきました。他方、2人目の発表者は、30分以上しゃべっていたので長すぎる、そんなにしゃべるならレジュメを配ってほしい、と言われており、若干心苦しかったです。
#要点が理解できていることが示された、といわれました。はい、母国語で読みましたからね・・・
 とはいえ、一度日本語で理解したものを、再度フランス語へ還元する工程も、なかなか泣けました。

ともあれ、無事に終わりました。非常に興味深く、知的興奮を誘うのですが、小学低学年並の言語能力で参加するのはきわめてカタストロフであります。

脳細胞をスーパーサイヤ人化したいところです。

2009年11月10日火曜日

時間割

大学院の1学期も後半戦に突入しました。
イタリアの政治が修了し、今週来週でスペインの政治(発表・・・)が、来週再来週でEU政策(英語)集中ゼミが、終わります。かわりに、水曜日からフェミニズムのゼミが始まります。

ところで、モンペリエ第1大学の政治学修士研究者養成課程では、教授も事務局員も同様に個室を1つずつ与えられており、その並びにゼミ室(salle de Linzという名前でした。写真まで飾られており、ここはいわばリンス学派に属しているようです。今頃初めて知りました。)があります。

事務局長のフェルナンドバーブリーさんが、毎朝鍵を開けてくれたり、ホワイトボードを消してくれたりします。彼女がバカンスの場合、9時開始の授業で9時前についても、しばらく教室外の廊下で教授が来るのをじっと待っていなければなりません。また、授業に必要な資料印刷や時間割策定も彼女の仕事です。フランスでは、このあたりの役割分担がかなり歴然としているように見受けられます。例えば、大学の先生に受入状を書いてくださいとお願いしたときも、先生からではなくフェルナンドさんから返信が来ましたし、教授都合による時間割の異動なんて教授間でやればいいものをフェルナンドさんに一任といった感じです。
しかし、そこはフランス、フェルナンド氏も適当に受け流します。しばらくホワイトボードが拭かれていなかったり、時間割が第1次世界大戦終戦日で休みのはずの日に入っていたり、我々学生向けメールが76ポイントくらいの大きな文字で送られてきたり、と仕事が雑?になります。(被害者は、われら学生なのでは・・・という気がしますが)

2009年11月8日日曜日

フランス人記者による日本のマスコミ批判

モンペリエもすっかり寒くなりました。コートなしには道を歩くこと能はず。

やや古い記事ですが、こういったところにも、政権交代の反射効があるようです。

政権交代でも思考停止の日本メディア

痛烈な批判です。ここまで言われると批判客体にも同情を禁じえません。

<引用開始>
日本の報道機関はその規模と仕事熱心な姿勢で名高い。だが知性あふれる人材を多数そろえながら、ここまで非生産的なメディアも珍しい。やる気のなさは、まるで冬眠中のクマ。けれどもひとたび──めったにないことだが──獲物が現れるや、一撃で残酷に息の根を止める。
 
 酒井法子被告をたたきのめしたのもそうだ。テレビ局はヘリコプターまで動員し、謝罪会見に向かう酒井の車を追った。ヘリを飛ばすのに1分いくらかかると思っているのか。二酸化炭素をどれほど排出するか。それだけの価値がある情報なのか。人をリンチするのが報道なのか。

(略)

ムダ話党(注 日本のマスコミのこと)の意見はその場かぎり。記憶力もない。10分しか記憶できない金魚みたいなものだ。昨日まで官僚から情報を仕入れていたというのに、一夜明ければ 「国民の敵」としてよってたかってたたく。

会食の席で「私は官僚です」など と自己紹介したら、新型インフルエンザの患者みたいにぞっとされるだろう。「事務次官」なら、間違いなく八つ裂きだ。

<引用ここまで>

個々の人材については高く評価しているところからすれば、記者クラブから締め出されていた、ということへのルサンチマンもあるのかもしれませんが、ここまでマスコミ自身が批判の槍玉にされることが、日本では、珍しいことだと改めて思いました。

また、日本の伝統として、外国制度調査に熱心なお家柄、外国からの日本の評価に敏感(というか他人の目を気にする文化)なため、フィガロ記者に評価を尋ねるのも、日本人の視点からは同情の余地があります。
自国の事情にもかかわらず日本記者がその意見を開陳もせずに見解を問われた場合、フランス人記者が不愉快に思うのも、おそらくはコミュニケーションギャップ(フランス人はいつもカフェで政治について議論ばかりしている等)に起因するところもありましょう。

酒井容疑者の件でCO2の話を引き合いに出すところはフランス人らしい視点です。京都議定書の国としては、そういう視点で見られていることも忘れてはならないでしょう。エコの観点からは、ヘリで追いかける必要性について、海上保安庁や海上・航空自衛隊自が海上遭難者を発見したときなどと比較したいところです。

勿論、選挙関連報道でうんざりしているときに(そこが問題だという文脈なのかも知れませんが)、ヘリで追いかける中継映像をみると、自然に興奮して、「ああ、のりPが見えるかな?」なんて思ってしまうわけですので、その国民的興味に答えようとするのも無理もない気がしますが。。難しいところです。

まあ、サルコジがカーラさんとバカンスを過ごしているところを貴国もパパラッチしていたのでは?ということを問い詰めたいです。

2009年11月7日土曜日

english

ダルビッシュ先生の授業は、結局、先週の続きをやり、私の発表は来週に持ち越しとなりました。先週はいったいなんだったんだろう、というくらい、一転してまた熱意のある授業でした。MULTINATIONAL STATE BUILDING の話をしていました。

バスクやカタロンなどを考えれば、スペインはもはや国境なき国家である云々。
その一方で個人がとても政治化されているとも述べていました。つまり、先生の問いは、「フランス人であると同時にコスモポリタンです、という回答がありえるかどうか」というもので、「もちろん、いまや世界はひとつだよね!」と気持ちよく答える人ほど、政治のことを何も考えていないことの証左だといっていました。
国政投票のときにバスクかそれ以外の地域出身かどちらか選べと言われてどうするか、常に先鋭化した政治的問いがそこにはあるということでした。

彼があげる事例として面白いのは、より卑近な例を重視した研究が引用される点です、

例えばテーブルマナーやスポーツというものは、文明化の証左、国家が国民を方向付け、脱動物化(テーブルマナー)しつつ、暴力の独占化・正当化の代償として与える(スポーツ)という理解をすることです。
そして、近年のスポーツジム(音楽を聴きながら走っている)、映画館(ポップコーンを食べながら鑑賞している)現象からこのような国家のあり方の弱体化を読み取ります。すなわち、音楽を聴きながら運動をするというのは、そこでは公共性はなく私の世界のみが存在しているが、政治基盤とは宗教の例を見てわかるように、キリスト教徒は集まればみんなでダンスしていたのだ、それがジムでは見られないことは憂慮すべき事態であり、また、食べることと鑑賞することに同時性は成り立たないと考えるならば「ながら」鑑賞はもはや文明人を逸脱する行為なのだそうです。

その場合、単一民族だと信じている日本で政治に関するアパシーが起こるのは当然となりましょう。


ところで、英語の授業、少しずつレベルがあがってきました。
興味深かったのは、イギリス出身の先生も、来仏当初は複数人数でのコミュニケーションについていけず孤独を感じていたことを吐露していた点、授業内容については、イギリス人はとても慎み深いので「THAT'S TRUE」という回答は不同意の際のキーフレーズになるとの指摘です(but・・・と続けることで)。同時に、フランス人や特にドイツ人は、あまりに直接的に言い過ぎるので、イギリス人にとっては無礼と理解されがちであるとも述べていました。

例えば、塩を取ってほしいとき、

イギリス人。CAN YOU PASS ME A SALT, PLEASE?

ドイツ人。PASS ME A SALT, RIGHT NOW!

というような、違いがあるという例えをしていました。

確かに・・・語学学校のとき、墺人は怖かったですが、イギリス人は親しみやすかった。
欧米=直接フリーキック、ではないのだと悟りました。

2009年11月1日日曜日

こんな第2の人生

矢倉さんという方の留学体験談を拝見いたしました。
科学研究者としての職業人生を終えられた後、第2の人生としてフランス留学。留学前にC2を取得されていることに驚嘆するとともに、留学後それでも困難を感じていらっしゃったとのことですが・・・私の語学力で難渋するのは当然ということになりましょう。

仕事を終えるにあたって、自分の脳内で使用されていた分野が限られていたこと、哲学をやるにあたってフランスがもっともふさわしい場所だと現地で「感じた」こと、の部分に共感を覚えます。
さらに、アメリカでの研究生活経験と異なり、功利主義的見方でない観点を与えてくれるフランス留学についての有意義性についても、まるで自分が書いたことのような印象でした。

世代が違っても同一の対象について同一の感覚を抱きうるという体験ができました。
また、私の第2の人生でも、こんな新鮮で頑張れる分野を見つけられるように頑張って生きたいと思います。