ようこそ!

人目のお客様です

2009年8月30日日曜日

滞在許可その2(人助け編)

2日目午後、
 整理券を求めて待っていると、一人の女性Aに声をかけられる。
 「日本人の方ですか?」

 「ニーハオ!」といって、中国人と一体化できる特技?を生かすべきか迷う心を振り切り。
 「日本人ですよ。何かお困りですか?」と答えると、Aさんはほとんど目に涙を浮かべた顔で
 「ああ、よかった。こっちで初めて日本人の方にお会いしました。私ほとんどフランス語が話せず、窓口に行っても意味不明で、助けてもらえませんか?」

 自分自身の申請もまだ達成できていない私に請負う資格があるのか若干不安であったが、聞くと語学学校でも初級クラスに在籍しているというAさんよりは、私の方が窓口における不安は少ないかもしれなかった。

 Aさんは初めてのフランス滞在にもかかわらず、受付に更新用の申請書類を渡されていた。そのことを指摘し、添付書類の不足を補うようアドバイスをして、整理券配布開始を待った。
 ・・・しかし、午後は50人までとの制限のため、結局不発におわった。

 ところが、幸運なことに、出口で同じ外国人学生が、「一枚多くとってしまったからあげるよ。」といって整理券を、しかも17番目と比較的早い順番を譲ってくれた。しかし、1枚だけ。私は、翌日来ることもできると信じて、そのAさんにその一枚を託すことにした。

 私が県庁を辞去した後、同じ語学学校に通っていた日本人Bも滞在許可申請のため県庁に行って、Aさんと遭遇したとのこと。その日本人は、フランス語が上手なのだが、悪いことに、すでにビザの期限が切れているとの事情を話したところ、Aさんから整理券の再移転を受けたらしい。

結局、Bはビザの期限切れの前に一度県庁窓口を訪れていたことが幸いし、問題なく申請受理となった上、Aさんのために更新用でない新規申請書類をも受け取ることができたそうで、2人にとってベターな解決ができたようだ。

 ・・・あとは、私だけか・・・・

滞在許可その1(苦労編)

1日目
(1) 学生専用窓口Pole universitaireへ。
 入口に貼紙発見。
 「8月31日まで、バカンスですので県庁へ直接どうぞ」
 ・・・そうですよね。

(2) エロ‐県庁、外国人専用窓口
 電光掲示板発見。
 「1日100人までしか外国人の相手をしません。いくら待っても無駄ですので、また明日来てください」
 ・・・そうですか。わかりました。

2日目
(1) 朝9:00
 県庁に到着。すでに100人以上の人。終了。
 ・・・待てよ。
 「学生は午後受け付けています」の貼り紙発見。
 わかりました。午後また来ます。

(2) 午後
 12:30にきたら、すでに長蛇の列が。。。
 整理券をもらう列に並ぶも、当方のずいぶん前に品切れ。
 人員整理を行っている警察職員に、
 「え?100人まだ並んでないですよね?」と食い下がると、
 「午後は50枚なんだ。」
 ・・・そんなことどこにも書いてないじゃん。

3日目
 満を持して、午後。
 ・・・あれ、窓口が開かないぞ??
当方: あの、すいません、滞在許可の申請をしたいんですけど?
受付: 金曜日はやらないんです。
当方: ええええ?そんなのだれがどこで決めたのですか???)
受付: よい一日を!
当方: あなたもね!

 この国、真面目な人をおちょくっているとしか思えない。

2009年8月21日金曜日

8月18日

そろそろ語学学校も終了。家を探さねばと思い、不動産屋へ。
この時期学生の街、モンペリエでは、住宅供給不足。加えて多くの大家がバカンスのため、新規物件が乏しい。。
トラムで中心街に向かう途中に1件、不動産屋によってみた。結果は、10月なら1部屋あり。いえ、結構です。
ひとまず、中心街のコメディー広場付近の大手不動産屋へ駆け込む。すんなり19日午前1145にランデブー(面会予約)とのこと。

この不動産屋、ナチュラルスピードで話してくるし、遺憾な感じで不安だったのですが、その不安が的中することになるとは・・・


8月19日11:45らんでぶー

2部屋のアパルトマンを予約したはずなのに、大変小さなstudio(1部屋のみ)に案内され、憤激。
先方いわく、「ああそうなの?ごめん、誤解だわ。」「アパルトマンが必要なら、も一回事務所へ帰ってやり直してくれ」

・・・いや、こちとら時間もないので、ほか当ってみます、ありがとうございました!
というわけで、午後はひたすら不動産屋巡りを実施。

その結果、トラムの駅boutonet近くの不動産屋で20日1030現地見せてもらえる物件ゲット。
ただ、家具がない・・・
家具の調達ってお金かかりますよね。。。
場所は、少し郊外になるけれども、閑静で、暴力もない(・・どんな説明だよ、と思いましたが)、アラブ人が多いが、人気がある地域だとのこと。
不動産者がパトロンに連絡をとった模様であるところ、当方の財政力証明書類とパスポートを見て、信用を勝ち得た模様。

日本人でよかった・・・



8月20日10:30

boutonetの不動産屋に向かう。
着くなり、不動産屋が開口一番、
「あ、ごめんなさい。この物件、すでに借りられてたの」

・・・「ハア(゚Д゚)????」
そりゃないでしょう。


また、振り出しに戻る。

3件目の不動産屋で、ようやくアパルトマン(&即入居可)を発見。
すぐに見せてもらえることに。
見たところ、家具つきで、なんだか引越前のお宅のような印象でしたが、立地は中心街に歩いて3分といったところで、大変よい立地なので、選択の余地がありません。即決することにしました。

日ごろから、必要な書類はクリアフォルダーに複写して綴じているので、こういったときに役に立ちます。
ぱっと財政証明書とかパスポートとか、保険契約証明とかを見せて、信用を高めてもらいました。
最後はパトロンに、やはり、日本人を信頼します、と言われました。
(最初は、当該パトロンは、当方の年収に関する記述(当方の会社人事担当課発行)を見て、やや少ないなあとの印象を受けた模様。遺憾。しかしながら、最終的には、フランス人の保証人とかややこしいことを言わずに、ひとまずOKしてくれました。

日本人でよかった。

しかし、安心できません。本当に契約書を交わして、済み始めるまでは・・・
これがフランスなのだと思い知らされました。
約束しただけでは安心してはいけない国です。

ひとまず不動産屋への手数料(家賃1月分)を支払い、残り(1カ月分家賃&敷金)については、翌日持っていくことに。ついでに、LCL銀行で開設した銀行口座に選択付帯している家財保険についての証明書をつけます。

恐怖体験2

8月13日

 国鉄の駅で財布と電子辞書を盗まれる。
 財布には5万円程度の現金と銀行カードが・・・

 本来、闘牛を見に隣駅のbezierに行こうとしていたところでした。
 発車間際の電車で盗まれ、電車が発車してしまったので、隣駅で急いで引き返し、駅の受付など捜索しましたが、財布そのものも見つからず(フランスではすりの場合、中身だけ抜いて返してくる場合があると聞いたので)。

 仕方なく、警察に行きました。ところが・・・

 明らかに当方より1周り近く若そうなニイちゃん警官。いわく「身分証盗られたわけでもないのに、警察きてんじゃねえ」

 ・・・え。そういう反応は想定外です。えっと、総領事館に苦情申し立てますけど、よろしいか?

 ともいえず、しばらく押し問答しましたが、今回は一緒に闘牛を見に行こうとしていた同じクラスの日本人が証人になってくれるというので、海外旅行保険でカバーできるからいいかと思って、警察への届出はあきらめました。

恐怖体験1

8月6日の朝。

 登校途中のトラム待ちのとき、近寄ってきた黒人に突然肩を掴まれました。
 彼はにこやかに「Bonjour, ca va?」と述べ右手を差し出してきたのみですが、
 周りの同級生から「逃げろ」と言われたので、逃げました。

 どうやらNORIPと同様の症状を持っている御仁だった様子。
 
 驚いたのは、スペイン人やアイルランドの女の子たち。
 当該黒人に向かって、「GO AWAY!!」となんども叫びます。大声で。
 これが火に油を注いだようで、当該黒人、何かを咆哮してきました。
 面白いことに、この咆哮が怖かったのか、アイルランドの女の子は、
 あごが外れそうなくらい口をあけて、涙を流し始めました。

 いや、だったら叫ぶなよ・・・

 と思いましたが、結局何事もなくてよかったです。
 夜中は危ないと思いますが、朝一から遺憾な日でした

2009年8月19日水曜日

文法特訓のまとめ

1)条件法

si tu veux, tu peux(present) 君がそうしたいなら、できるよ
tu pourras(futur)  〃         、できるだろう
viens (imperatif)   〃         、きなよ

si tu voulais, tu pourrais 君が望めば、できるだろう(反実仮想)

si tu avais voulu, tu aurais pu 望んでいれば、できたのに

a condition que + subjonctif

ex) Je viendrai a condition qu'il fasse bien もし天気なら行きます
a condition d'avoir fini mon livre 本読み終われば、きます

a moins que + subjonctif

ex) Je viendrai a moins qu'il pleut  雨でなければいきます
sauf s'il pleut

au cas ou + conditionnel

ex) Je prends mon parapluie au cas ou il pleuvrait 傘が降るといけないので、傘持っていきます


2)理由

parce que~
car~

sous pretexte que

ex) il est encore absent sous pretexte qu'il est alle pour la 3eme fois a l'enterrement de sa grand mere. 祖母の三回忌に行くため彼はまた欠席した

etant donne que +indicatif

comme

puisque

en effet

soit que...soit que...+sub
non que...+sub
ce n'est pas que +sub

a cause de +nom
en raison de +nom
grace a +nom

3)まとめ

理由) puisque, en effet

結果) tellement...que, si bien que, par consequent

目的) pour, de peur que/de, afin que/de

とき)  avant que/de+ sub, jusqu'a ce que +sub, en attendant que/de +sub

反対) mais, alors que, tandis que, bien que+ sub, meme si, avoir beau

ex) Il a beau pleuvoir,je sors. 雨降っても行きます
Bien qu'il pleuve, je sors.

仮定) si+ imperatif, plus que parfait,
a condition que +sub

2009年8月12日水曜日

Le cours d'ete a commance!! その6

(5日)
1時間目、expression orale

 1970年代に書かれたフランスの教育制度の失敗についての論考を読んで、グループごとに発表する。
 
 1グループ・・・内容の説明
 2グループ・・・あなたの国での教育制度
 3グループ・・・あなた自身の経験(学生/先生、学生/学校、親/先生)

 教育にも資本主義が浸潤し、金持ちの子は塾に行くし私立に行くので、世代を超えた教育格差の継承という不平等の問題がメインテーマとなりました。

2時間目、「デンマーク人は幸せか」

 デンマーク人は世界で一番幸せ(例えばジニ係数など)との言説に対し、前半肯定、後半疑義提示との流れの雑誌記事読解を宿題で課されておりました
 4日あたりから激烈な腹痛や、インターネット環境の途絶(寮の工事の関係)で、灰色状態だったこともあり、全部読破できておらず、授業ではアメリカ人の18歳の女史に無視されるは、最低な感じでした。
私がデンマーク人になりたい。と思いました。

 ともあれ、デンマーク人は、高い税金を払うけれども、何の心配もない人生を送り、道で会う誰もが笑顔だそうです。しかし、筆者は後半で、彼らは「自分たちは幸せでいなければならない」という強迫観念のようなものに囚われているのではないか、と指摘しています。

ここにおいて、profのたまひていはく、
「フランスでは、《ああ、今日私は不幸せだわ》ということは許容されているし、むしろ否定的なことにも積極的。常に何かと闘っている。ストも多いでしょ。なぜなら、国王の首を飛ばした国民性だからね」

そうですか。そうですか。

その後、私のグループでは、若者の余暇について発表することに。
アメリカと日本の若者の余暇について、発表しました。

私からは、次のようなものをあげました
・カラオケ
・TVゲーム
・マンガ
・コレクション(ポ●モン)
・スポーツ(野球=イチロとか)
・ケータイ
・ネット

このうち、カラオケ、ポケ●ン、イチロに関する欧米人の食い付きの良さに、驚愕しました。すごかったです。最近、外交力強化の一環として、日本のポップカルチャーを前面に出す方針を日本国政府・与党は採っていますが、わかりやすい効果、つかみOKな感じが理解できました。

銀行口座~クレディリヨネ開設

ようやく銀行口座を開き(け)ました。
銀行員の兄ちゃん(M.Julien MONIEZ)の言っていることは、ナチュラルスピードでは理解不能でした(汗
しかし、理解できるまで根気強く、ゆっくりと説明してくれました。そうそう、それなら理解できます。。。

モンペリエでは多数の留学生がいることあり、大学前に専用出張所があるなど、先方の対応は慣れたものでした。
丁寧な説明と、親切な対応で、1時間ほどで口座開設できました。

ジュリアン)
「今日は、シリアや中国や…といった国からの留学生に口座を開いてあげたんだよ」
「君は中国人カナ?おっと、日本人?!モンペリエではほとんど日本人はいないよ。」
「日本は美しい国(!)だよね?いってみたいなあ」

といった会話をこちらに投げつつ、手際よく口座の開設&トラベラーズチェックの受入処理をこなす兄ちゃん。なかなかデキます。

そして常に笑顔。ユーモラス。サービス精神旺盛です。
最後には、最高の笑顔で「Merci, Monsieur!」と立ち上がって握手を求めてきました。
みんなこうだったら、なかなかいい国だと思えるのですが・・・


おそらく、銀行や滞在許可などは、地方都市で済ませてしまう方がいいと思います。滞在許可についても、モンペリエでは、学生専用窓口が別途あって、語学学校にいる日本人も簡単に許可がもらえたと言っています。


銀行口座開設に必要とされた書類は、これだけ。
・パスポート
・語学学校の登録証明書(住居の提供に関する文言があるため)
・大学院の登録証明書(これは必須でない。こちらから渡したら、もらっておこう、という感じ)
(・住居証明→とりあえず住所だけ教えてOKでした。兄ちゃんが直接寮に電話してくれて、住所の確認をしていました。しかし、住居証明書はとても重要なので、明日寮の事務局でもらってもってこいとのこと)

なお、住居保険(初年度1ユーロ、翌年度はもっと高い。コマーシャルだから、といってました)、盗難保険(月1ユーロ程度?)などへの加入も勧められたので、大した掛け金でもないことから、加入しておきました。
また、日本の銀行と同様に、ネットバンキングができるらしく、数日後にコードとかを教えてくれるそうです。フランスでは口座を開くと、普通口座と貯蓄口座(livret A)の2つが自動開設されるようで、後者の利率は、クレディリヨネの場合、年利1.25%との由です。


トラベラーズチェックについても、口座を開いた後の当該口座への受け入れは、手数料無料の模様です。(今日時点では請求等されず。今後引き落とされたりするかどうかまだわからないけど)
これは、大きいです。現金に換金する場合、仏郵便局で行うのが一番安いようですが、それでも1.5%の換金手数料がかかります。1000ユーロにつき15ユーロの差です。


2009年8月4日火曜日

Le cours d'ete a commance!! その5

(4日)午前中は激しく雨が降り、すごく寒かったのですが、夕方になるとカンカンでり。体調がおかしくなります。ところで、日本で8番目の都市、というと、福岡市になるようです。モンペリエに住むということは、人口規模の順位のみからすれば、福岡市に住むようなものだと、いえるかもしれません。

 今日は午前のみ。
 月曜日ゆえ(?)、先生たちはいつもほど気合が入っていませんでした。

1時間目: 「所有者は、所有物の罠にとらわれている」という19世紀の作家の言葉について、作文しなさい。

 要すれば、携帯電話を所有する人は、逆に携帯電話の奴隷になっているのでは、といったもの。時代としては産業革命期以降のものでしょうが、現代にも示唆的です。
 グループディスカッションでは、アメリカ人3人、クウェート人1人と私でグループになりました。彼らは、洋服、自動車、家を所有の例としてあげ、それぞれ、見栄や有用性を追求するためお金を犠牲にしており、所有=奴隷との構図を述べていました。
 当方は、資本主義そのものが金の奴隷ともいえるものであり、所有との概念そのものは社会に秩序を与えるためのフィクションにすぎないから、このテーマ自体は賛成できるが、これ自体哲学の領域なので日常的に奴隷制を感じて生きていくことには悲観的に考える、例えば、われわれは自己の身体の所有者か、との問いに対し、生物学者はDNAの存在を示唆するだろう、といった旨を述べたのですが、アメリカ人には後半は理解不能なようでした。これは私の言語能力が極度に不足していることによるか、彼らがまだ若いため(19歳)か、あるいはその両方か、でしょう。

 宿題:金曜日に300語以内で、作文を提出しなさい。



2時間目: 「日曜日の遠足について、3行でまとめて発表しなさい。」

 Bezierというところでは、水道橋の水源地を見ました。そこでは、だんだん畑のような水路があり、水量レベルを低いところへ徐々に下げていくことで、水を運んでおり、現在でも、船舶通行路として利用がされていました。
 といったことを発表しました。この先生は、クラス分けの面接のときに当方を担当した先生で、よく目が合うので、一番最初に発表させられます。土曜日の授業で、活用ができなかったときは、怒られました。c'est une surprise...tu doit les minimiser pour faire un master, je pense...とぶつぶつ言っていました。

 残りの授業で、土曜日授業中に作成した作文(添削されたもの)が配られ、問題点などが指摘されました。exellent, tres bien, bien, assez bienのうち、当方はbienでした。定冠詞や動詞の使い分けなど、細かく添削してくれていて、このマダムは熱心だしとてもためになります。
 いわく「各人勉強の背景が異なるから、他人との比較は無意味。次回以降に少しずつ前進できるように頑張りなさい」とのこと。おっしゃるとおりです。ありがとうございます。

 ちなみに、授業はもちろんすべてフランス語で行われます。日常会話は理解できませんが、授業中のprofによるコメントはほとんど理解可能です。おそらく、当方の認識語彙が、profの発話語彙を含んでいることが原因と思われます。18年1月~3月の間に、東京の日仏学院(レベルA2。今より2下のレベル)に通った際には、ほっとんど理解できず、当てられてもマゴツクことしかできず、厄介者扱いされていたことと比較すれば、上達を感じます。しかし、それは、ナスシスティックな満足に過ぎず、さらにさらに前進すべく努力したいと思います。

 とはいえ、毎日授業(土日は授業+遠足)で、時差・気候を含む環境への適応に必要な労力と相まって、体が悲鳴を上げ始めているのを感じます。オフィスでのハードさとはまた別のハードさがあるのですね。

2009年8月3日月曜日

カルカッソン


城壁の中にあるレストラン。「カスレ」なる郷土料理。こってりしていてなかなかの美味。







伊太利人のルカ(23歳)よく行動を共にしている。欧州人としては、おとなしく、日本人にとって親しみやすい。ドイツ語、イタリア語、英語がペラペラ。なぜかフランス語は当方より1つ下のクラスだが、日常会話に支障はない模様(勉強始めて4カ月らしいが・・・)

(19世紀以降の政治と倫理の関係をテーマに哲学を学んでいるそうで、デリダについて議論したり。ベルルスコーニはカトリック教徒を愚弄していると怒ったり。)


カルカッソンの城壁。外からみたところ。
~難攻不落の要塞と化していく。11~12世紀には領主のトランカヴェル伯爵がカタリ派に友好的だったためにアルビジョワ十字軍に攻撃され、水路を断たれて屈強な要塞も15日間で落城、フランス国王に献上された(フランス観光開発機構オフィシャルサイトより)
小田原攻めを想起させる城。



2009年8月1日土曜日

日常会話集その1

Bonjour, ca va?
tu viens d'ou?
J'ai un ami en Italie qui s'appele ~
tu es alle ou hier soir?
tu as joint ~?(vous avez joint~?)

Jusqu'a quand tu restes ici?
tu etudies quoi?
lequel preferez-vous?
Comment dire…

Dans ta classe, on a beaucoup de devoirs?
Ton pays te manque pas?

j'ai ete ~
Je suis alle ~
Nous avons besoin de

Il m'a demande s'il etait

モンペリエ市役所にて

一つの失敗をしました。

今日は、モンペリエ市役所の国際関係室で歓迎行事があるとのことで、案内が出ていました。
2時間目の授業でもそのようなアナウンスがあり、私も参加予定でした。

ところが、時間どおりに寮の入口に行っても誰もいません。
どうやら時間を勘違い(聞き間違い)していたようです。
【失敗の本質その1:フランス語力不足】
嗚呼、遺憾。

でも、行き先が市役所だということを知っているので、市役所にさえたどり着けば、何とかなるはず!と思いこんで出発することにしました
【失敗の本質その2:外国フランスの見積もりが甘い】


トラムに乗って、市役所駅でおりました。
そこは、新市街地ということもあり、自分が知っているモンペリエの郊外よりずっとずっと都会でした。ああ、ギャラリーラファイエットまであるんだ~と思って少し浮き浮きしていました。
(焦りもあり、写真をとる余裕がありませんでした。。。】

さて、市役所に着いたと。
幸い案内窓口が開いており、尋ねてみました。
フランスにしては、にこにこと笑顔で答えてくれ、色々電話をかけてくれた感じのいい女性でした。
しかし、結果は、、、不発です。わからず。
そもそも、市長とのランデブーではなく、国際関係室とのランデブーであったことも、後で知りました。

先方とのやりとり概要、以下のとおり。
***********************

当方「市長とランデブーがあるのだけど、どこにいったらよいですか?」(本当は国際関係室・・・)

窓口「あなたのお名前は?」

当方「こちらIEFEの学生で当方と申しますが、何か?」

窓口「少々お待ちを。。。。あ、市長室ですか?トエホウさんが見えています。彼のフランス語はあまりよくないので、間違っているかも知れませんが、市長にランデブーは入っていますか?・・・・わかりました。」「この時間帯、市長にランデブーはないそうです。あなたは何しに来たのですか?」

当方「ええ?マジで?・・・われわれ学生が市長から歓迎を受けると大学から聞いてここに来たのですが・・・ええっと、その~。。。」

窓口「大学に行きたいのですか?それでしたら・・・」

当方「いやいや、大学に行きたいのではなく、市役所でランデブーがあるのです。(あんまり通じてないな・・・)」

窓口「誰かに電話をかけてみてはどうですか?」

当方「I have no phone(ここから英語)」
【失敗の本質その3:チューターの電話番号を知らない】


窓口「大学に電話して聞いてあげることは可能です」

当方「お願いします」

窓口「ん~留守電になってます」

当方「市役所のだれかとランデブーがあることは間違いないのですが」

窓口「うちの市役所何百人もいるんで・・・名前がわからないと。。。」

当方「わかりました。これは私のミスです。ありがとうございました」

窓口「お力になれずごめんなさい。確認されたら、月曜日以降に来てください」

(月曜日以降って・・・今日のランデブーだから・・・)

************************

帰りはへこんでグロッキーになりましたが、次につなげるべく、以下、失敗を分析したいと思います。

【失敗の本質その1:フランス語力不足】
(solution)→ 会話力が低いのはやむをえません。努力しても限界があり、開き直るしかありません。いい実践の場になりました。漸進致したい。
でも。。。「彼のフランス語力はいまいちなので・・・」というフランス語は、聞き取れる程度にはできるんですよ。マドムワゼル。
翻って、日本の市役所・町村役場に、日本語レベルが当方のフランス語レベルと同値の外国人があらわれたときに、同様以上の対応ができるのか、との問いを立てたとき、完璧に肯定する自信は、ありません。市長の秘書に電話をしてくれただけでも、マシだと思うのが中庸だと悟りました。


【失敗の本質その2:外国フランスの見積もりが甘い】
(solution)→ 日本なら関係しそうな部署に確認してくれそうなものですが、権限がないのか、仕事文化がないのか、窓口ではそこまでの対応は期待できませんでした。私の目的が達成できなかった点では気分は遺憾ですが、窓口対応ポイントとしては気持ちのよい対応だったのは間違いないです。
(とはいえ、今日は金曜日で同僚たちが窓口応対中にもかかわらず「じゃあね!よい週末を」といいながら当該女史にからんでいるのは、日本ではむっとする対応でしょう。フランスでは普通ですね)
 
地方自治の現場、地方分権の真価を問う事例として、モンペリエ市役所の能力に関するフィールドワーク的調査を開始してみたいと思いました。そのうち本当に市長(マダムらしい)を訪問したいと思います。


【失敗の本質その3:チューターの電話番号を知らない】
(solution)→ さっそく2人のチューターの携帯電話番号を確認し、メモを携帯することにします。