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2011年10月19日水曜日

ダブルマスターを携え帰国

長いようで短かった二年が終わりました
非日常から日常への回帰
夢まぼろしの如く

たくさんの方にお世話になりました
この場をかりて御礼申し上げます

フランス語は続けていきます

2011年7月1日金曜日

三朝町との姉妹都市21周年記念式典

フランス側で参加し、ショパン副長官の公邸に泊めていただきました(セキュリティー上写真を載せられませんが、大臣が来たとき用のお部屋で、それなりに豪華でした)。彼も実は空手家で黒澤や三船など武士道精神を重んじているものを好んでいるそうです。

というわけで、日本語でも挨拶していただきました。BANZAIと書くと、どうしてもフランス人は「ボンザイ」と呼んでしまうのが残念です。

 ようこそ、ラマルへ。

2011年6月2日木曜日

インターン修了と送別

12時から長官公邸で送別パーティが行われました。いつもは長官が大臣などの来賓を迎える部屋です。まず長官から当方へのねぎらいの言葉と経歴の詳細な紹介、インターン中の上司2名からの送別の言葉をいただいたあと、当方からのスピーチ、立食パーティという流れでした。

長官の言葉はごく簡単にまとめると、
・平日は日本人のように働き、休日はフランス人のように休め
・同僚の意見をよく聞き、よく話し合いながら仕事をするのがよいマネジメントにつながる
・息抜きのワインはラングドッグ=ルシヨン州産のロゼを
というものです。

(当方さんの名前は、我が地方長官庁に後世にわたって残されていくだろう、といった趣旨のことを何度も述べておられましたが、この辺の弁論術は、見るべきものがあります)

途中、日本旅行中にブリジストン美術館で携帯がなった際に係員につまみ出されたことを例に出し、日本人がフランスに比べいかに規律正しく厳格かについて話していた際、ちょうど執事の携帯がけたたましくなったところをとらえて、当方と同い年の官房長が「ムッシュー!!」といって突っ込んでいたのが大きな笑いを誘っていました。さすがエナルク。当意即妙の才を見せ付けてくれました。

たくさんのお土産をいただき、長官からは名前入りのメダルを授与していただきました。

2011年5月27日金曜日

州行政会議

今日は、州内の地方長官及び州務総局長による州行政会議(comité d'administration régionale) に参加しました。

・政令に基づき開催されるこの会議は、月例のもので、州都で、州の地方長官が議長となるとされています。

・議題は、
-2013年以降の欧州農業政策(EUの補助金のうち40パーセントを占め、そのうち半分がフランスに)
  -フランス国鉄の路線見直しなど
-研修制度
など


 会議の初めに、お世話になっている州地方長官から紹介していただき、その後サンドリン氏(課長の方)から若干補足してもらったあと、自己紹介しました。国際会議よろしくマイクオンで話すのと、州内のトップ役人がそろっているのでやや緊張しました。
 (あとで、ペルピニャンの地方長官から「南仏なまりをよくマスターしているね」とよく分からないからかわれかたをしました)

フランス国鉄の見直しのところでは、みなさん役人である前にイチ利用者としての不満をぶつけまくっていました。州地方長官は、日本の新幹線は4分に1本間違いなくくるのにフランスはああ・・・といってましたが、よほど日本がお気に召したようです。


当方の名札はなぜか「ENA研修生」になっていました。おかげで「俺はENA卒業生なんだ」とかいって話しかけてこられて迷惑でしたが、一インターン生がテーブルについている理由の説明がめんどくさいので、こういうことにしたのだろうと思います。

 お昼は、ナポレオン時代に作られたという「グラン・サロン」↑での昼食会。これで5度目くらいですが、緊張します。

この席でも、州長官から日本についての言及がありました。(冗談交じりですが)

「当方さんよ、日本は我々よりも高い能力を発揮しているが、ひとつ間違いをおかした・・・地方長官(官選知事)を廃止したことだ笑。それでは皆 召し上がれ」

機関委任事務もなくしてしまいましたが何か?ただ、フランスの分権と違って、明治から合併が大変進んでいますので、国がパトロンからパートナーになっても、フランスほど土着の地頭みたいな人が幅を利かせるということは少ないのではないかと思います。

先日ベジエの副長官の話にもありましたが、国の政策を地方で執行する人が地方長官に当初期待された役割だったわけで、その機能自体は必要なものなので、結局、自治体がそれを担うわけですが、事後的であっても、執行を担保できる手段が国に残されている必要があるように思います。


日本にも州を作ったら、国の政策執行の確実性を担うものとしての官選知事復活!?どうでしょう。選挙で選ばれた知事を首にする制度よりは筋がいいと思いますけど。。。

2011年5月25日水曜日

ベジエ副長官庁

モンペリエから南東へ72kmにあるエロー県第4の都市ベジエショパン副長官の招きに応じて、1日副長官の仕事に付き添い見学です。

8時 モンペリエ・サンロック駅

9時 ベジエ着 迎えの副長官車で副長官庁へ。運転手のおじさんの「なまり」が凄い。「電車は静かだったか?」って単純なはずの問いが、別の言語に聞こえた。生まれも育ちもベジエのおじさん。

9時05 副長官庁着。ショパン副長官室にて、今日の予定の簡単な説明を受ける。

9時30 若者の就職支援策についての会議。議長・ショパン氏。国(経産省出先、労働省出先)、県、市、警察などさまざまな主体が参加。ショパン氏曰く、「フランス行政は誰が何をやっているのかお互いに分かっていないので、それをお互いに認識させ、無駄のない政策執行を実現させる」のも副長官の役目なのだとか。

12時 会合終了。ショパン副長官室で、長官(官選知事)、副長官(官選副知事)の役割について講義。

1 地域における国家の代表(パリからの大使)
政府の政策を実行する

2 地方議員の援助
日本の半分の人口に対して36 000以上の市町村が存在するフランスでは、概して市町村の行財政能力が弱いことから、財政的、法律的な観点からの援助を行う。

3 警察の長
警察を指揮する

4 調停役
30年前の分権改革によって、国家はパトロンからパートナーに。国が何でも決められた時代から、無数のアクター間の調整が必要になった。

5 議論をまとめ、書類の調製を進める
市民社会が成熟しすぎたフランスでは、議論ばかりで誰も実行のための手続を考えないし、議論も前に進む議論ではない。

6 法律の遵守
例えば交通法規。シートベルト着用の義務についての必要性の認識を広めるためにも10年以上要した。今日では、ねずみとりの事前告知看板を撤去することへの猛反発を抑える説明に苦慮。数学的に危険性が証明されていることであっても、フランス人にとっては、自分自身に実際に起きたことがない事故の危険性は0と認識される(程度に合理性が低いひとたちとの説明)ので、説得を試みるのは至難。

7 各省庁出先をまとめる行政の長
内務省官僚でありつつも、地域においては大統領の名代。facilitateur, mediateur
シャルルマーニュ(紀元後800)の時代にもmissi dominisiといわれる地域で国家の決定を実行する名代が必要とされた。1000年後に同じ理由でナポレオンが作ったのが、地方長官の制度。我々は「小さな皇帝」。

8 各種証明書・身分証の発行 



12時30-14時00 副長官公邸にて昼食会。鳥取県三朝町と姉妹都市のLamalou-les-bainsのロック市町村長と初対面。6月22日に三朝町との友好を記念して作った温泉(!)が20周年?を迎えることから、長官、副長官に加えて招待していただけることに。

14時ー14時30 副長官執務室にて、ロック氏からの各種陳情。

14時30 natura 2000についての会議1
 漁師、所有者、環境団体、行政などの利害が絡み合い、とんでもないことに。副長官お疲れ様でした。
会議では一人5秒程度の自己紹介をはじめにしたのが新鮮だった。(ドラフト会議の被指名者アナウンスを自分でやる的なイメージ) 先日のテレビ(フランス3のルポルタージュ)を見たという人が数人いた。

16時15 同会議2
 こちらは実行済の環境保護によって得られた自然界への影響についての評価。専門的過ぎて頭が痛くなったところ(17時30)で、モンペリエへの電車の時間となる。

ショパン副長官に会議を中座し、出口まで送っていただく道すがら、6月22日は、遅くなるから、公邸に泊めていただけることに。

一見、厳しく、やたら早口で、人の数倍のスピードで仕事をしている一方、心根のやさしさを垣間見せる方でした。

印象としては、警察機能などは別にすれば、都道府県の総務部長や市町(村)課長などが一部になっている業務かなあと思います。逆に言えば、戦後官選知事の仕組をなくしたとはいえ、国の仕事を都道府県・市町村に実施させてきた機関委任事務の制度と人材派遣を通じて、都道府県は実質的に官選知事機能の一部(=国の仕事)を担っているということをフランスの官選知事の運用から見ても、実感できたということなのかもしれません。

2011年5月17日火曜日

新聞とテレビからの取材

大学院の同級生の記者から取材を申し込まれました。5月11日でちょうど震災から2ヶ月ということで、それと当方のモンペリエの地方長官庁での研修などとの関係についてというテーマでのインタビューでした。

できた記事は、1つの面の4分の1程度でしたが、地方長官庁では「スター誕生」とかいって、ずいぶんとからかわれました。

その後、記事を読んだテレビ局から取材が来て、ルポルタージュが放映されました。

この新聞記事は、相手が知り合いということもあり、大きく間違った事実は出ていませんし、名誉などを傷つけないよう配慮したあとが伺えます。

一方、テレビ局の方は、あらかじめ決められた観点からの質問や、誘導尋問が多く、結果としても、それに見合った映像やコメントによって構成されていました。 時間の制約は紙面の制約よりはるかに大きく、事実への忠実度は大きく下がります。言ってみれば、まあ嘘にならなけりゃいいんだよ、という、忙しい上司におおまかなポイントだけ要約するときのキーワードみたいな感じです。
 *当方は、「将来フランスでも働いてみたいですね」と、詳細な説明をしつつつぶやいただけなのに、なぜか「将来の駐仏大使」と断言するなど、こちらからしてみたら反事実ともいうべきことがまことしやかに放映されているのをみて、確信しました。

共通点としては、学校でも習いましたが、「アングル設定」が重要だということです。つまり、「こういう観点から記事・番組を作りたい」という1点から全ての物事を切り取る、という作業が必要とされます。

 テレビの方は、地方長官にもご登場いただきましたが、この席で長官から、ジャポンの当方の会社について、積極的な受入を進めて行きたいので、当方の組織に伝えるよう指示がありました。それを当方の研修担当にも伝えたところ

「当方さんから御礼つたえといてください。あ、それから研修するときは、本社の許可が必要なので、申請書に記入して返信してくださいね」

てな返信が。

んー。地方長官って会社で言えば、執行役員クラスなんですけどね。なお、ここの州では国家警察権限も掌握している怖い人です。しかも、先方は、役員用に留保された住居を研修生に提供することもやぶさかではないとまでいってくれているんですが・・・。

んーんー。研修といっても、自由時間があるので体験のために、とかではなく、大学院の必修科目として実施しているわけですが、学位取得にアプリオリに必須の活動に許可申請。大学院への派遣趣旨にすでに包含されているものといえそうですが、ぶつぶつ。。。長いものには巻かれます。ハイ。


今回のことで、
・自分をねたにしてではありつつも、テレビや新聞にどのように話すと、どのようにフィードバックされるのかが分かったこと、
・当方の会社が国際化とか外国との意思疎通という概念との関係で、どのような領域に位置する場所なのかということについて、

初めて又は改めて知り、今後のモチベーションとしていくよいきっかけとなりました。

2011年4月21日木曜日

エロー地方長官庁官房研修2週間目

初めの緊張が徐々に解け、慣れてくると時間がたつのが早い。あっという間に2週間目は過ぎた。

1)CDCI-エロー県下の市町村が加入している組合の再編について長官案を提示する会議。県内の市町村長及び州知事、県知事が来ていたが、またもや不意に長官が当方の紹介をするので、(上司の命で)写真を撮っていた当方に視線が集中。
ミディリーブルの記者から、セート市とモンペリエ市の市長が話しているところの写真を撮って送ってくれと依頼された。翌日の一面にそれが載っていた。こういう場合は記者と役所の関係がスムーズなこともあるのだと知った。
職場のサンドリンさんによると、広報担当職員と記者とは、初めからチュトワイエ(フランス語のより親しい間柄で用いられる2人称及びそれに応じた動詞等の活用)することが常識だという。他方で、大学に教えに来ていたミディリーブル・ニーム支局のシャースレー支局長は、役人や政治家とチュトワイエすると、緊張感が薄れ批判記事が書けなくなるので避けるべきだ、といっていた気がする。こんど質問してみよう。

2)欧州連合関係のイベント@ファーブル美術館・・・のはずが、当日、何の前触れもなく取り消された(美術館に行ったら、あいてなかった)
フランスでは、「あ、それなくなりました」という台詞は、当たり前のように聞いてきたが、地方長官庁よ、お前もか。と。

3)長官庁から少し離れたところに、職員食堂がある。職員には割引があるが、当方は報酬その他を一切受け取ってはいけない契約になっているので、当たり前の値段5ユーロちょっとで昼をすごす。
ひょんなことから、元ジャーナリスト、現役裁判官らと、食後毎日カフェを30分程度しながら談笑することが日課となる。裁判官は柔道有段者で、日本についての話で盛り上がることが多い。

4)週末、サル●ジ大統領がモンペリエに来るかも?という話があり、その場合同行できるはずだったが、結局流れてしまった。遺憾。



2011年4月10日日曜日

エロー県地方長官庁官房研修3日目ー5日目

 4月6日(水)
- 一人でレビュープレス作業。 midilibre紙 région版だけはジェニー氏がチェックしてくれた。 
- 10:30 からの会議、長官の日程につき官房担当者がそれぞれすき放題しゃべっていてお互いに聞いていない印象。
- 「agenda média」という翌週の長官動向のうち報道関係者OKの予定の作成を命じられる。上記会議で具体的な話がなにも出ていないので、結局担当者に聞きまわることに。叙勲や自治体再編に関する会議を報道するかどうかが軽くもめたので、大変困った。
- レビュープレスは賢いパソコンソフトで新聞切り抜きがPDFで作成されるが、この日はなぜか同じ日付で2つの目次が出来てしまい、ジェニー氏に相談したところ、必要な記事が網羅されているのであれば問題ないとのこと。要するに「無駄詰めはしない」というスタンスの模様。素晴しい。
- 他方、アジャンダメディアは、半角スペースを詰める、など日本の役人並に細かい念の入れよう。

4月7日(木)
- アジャンダメディア。サンドリンさん(去年からお世話になっている州長官庁課長の方)が土曜日に長官と史跡めぐりに行くことについて、私的OR公的によって掲載すべきかどうか決まるので、本人に挨拶がてら確認した。
- プレフェの運転手シルバンが部屋に現れ、放課後、運転手控え室に案内してくれた。1時間くらい彼と彼の娘さんの日本に対する熱意や日本文化について議論。彼は警察官であった弟さんが殉職されたことをきっかけに、義理の妹さんの出身地であるモンペリエの長官運転手に異動を願い出たとのこと。娘さんが作ったという漫画をもらった。
- 長官庁のインターネット公式サイトが見づらく、特に、外国人の手続のページが、個人的にも印象が悪いので、改善案を提示することになった。その前提として、いくつか他県のページを関係者に提示。
- 新聞社数社にメールで情報確認。
- midilibre région で同じようにインターンしている同級生は、今週だけで4つも記事を書くらしい。こちらの新聞は記者の署名が必ず入るので、院生・インターン生の身分でも週4つ記事が地元紙に載ればたいしたものだと思う。
- 長官庁には、日本の役所のような、記者クラブは存在しないのだが、本日報道発表した、ガール県のある企業での事故の記事が、報道資料を丸々そのまま載せていた。事件の速報性重視や、ネット記事だったこと、また翌日の朝刊では独自取材情報も載せたことなどを考慮しても、常に批判記事を書くフランスの新聞にとって、これは珍しいことだと思う。
- 報道担当室は、仕事量の割りに、正規職員がジェニー室長一人しかおらず、兼務やパートタイム職員がしばしば休むので、ジェニー氏と当方のみ、なんてことがよくある。このため、ジェニー氏の仕事量は、フランスと思えない程度に激しい。このため、いろんなところに掲示をして、常にインターン生を積極的に募集しているらしい。4月は本当に誰も応募が無かったので、好都合だった模様。

4月8日(金)- 地方長官は公の秩序維持や道路交通取締りなど国家警察権限も持っているのだが、その部署のserge robert氏という非行抑圧担当官(50歳くらい)にお昼カフェをごちそうになった。彼は日本文化、歴史に詳しいが、割と一方的に話すタイプだ。語源を学ぶ重要性について教えてもらった。例えば、communication のconがavec(with)という意味のラテン語から来ていて、単に意見を交換するという「意思疎通」というよりも、同じ情報や意見に染めるというニュアンスが強く、説得の要素があるのだということを述べていた。
- アジャンダプレスを長官に見せる段階に来たが、自治体再編については議論が機微に触れるので、報道をどこまで入れるか・入れないかは、長官の判断を仰ぐことに。興味深いのは、その際の「資料の見せ方」・準備が日本と同じだったこと。つまり、「入れたバージョン」と「入れないバージョン」の2つを準備して長官に渡して、どちらか選んでもらう、というもの。
- 去年11月からフランスでは公共の場で顔を完全に覆う服装をしてはならない法律が施行(公布)されており、この4月11日から施行されたが、公の秩序を最終的に担保する長官にこの点についてラジオ「フランスブルー」から電話インタビューの申し出があったのが12時前。長官がOKしたので、16時45分から5分のインタビューが行われた。
- Labellisation des pôles d’excellence rurale -という要は地域開発のためのアイデアを「首相が」(普通は担当大臣が認定するのでその点は珍しいか)認定し補助金出します、というよくある国からの開発補助金なのだが、この第二弾についてこの日決定されることになっていた。エロー県で3つ内示があり報道資料は出来ていたが、長官庁での発表のタイミングは、国の本省が正式に発表後、となる。そのタイミングを、5分おきに各役所のHPをチェックするという手法でチェックする、という、大事なことではあるけれども、かなりお役所的な地道すぎる作業を実施。




2ヶ月のうち1週間目のインターンが終了。
インターン生としてそれなりに貢献できているとは思うけれど、もしフランス語が母国語並みに「書ければ」、報道文書などもっと役に立てるだろうに、という点が残念。しかし、それらの文章を見ながら、行政文書の言い回しなどを勉強していこうと思う。
気づいた点としては、彼らは息抜きがうまいと思う。割と頻繁にカフェを飲みながら、同僚と歓談し、週末にあったことなど取り留めの無い話をして、またさっと仕事に戻っていく。

2011年4月6日水曜日

エロー県地方長官庁官房研修2日目

8時43分着 サンドリン氏はまだレビュープレスに着手しておらず。明日水曜日は休暇のため、今日から当方がほぼ一人で担当することに。その間サンドリン氏はメールチェックしたり歓談したりしていた。
11時30分 ようやくレビュープレス終了し、課長ー長官に送信を終える。
12時10分 地方紙、テレビ、ラジオの部数・視聴者数、各紙のプロフィール(編集長、記者、編集会議の時間、脱稿時間など)の紙を更新するよう指示あり。地方紙の部数については、フランスでは新聞が広告を載せるためには地方長官の許可が必要となっており、その前提として発行部数を選挙管理部局に届出ているとのこと(選挙法がらみの規制なのか?)。そこで、担当課長にお願行った。電話して取り寄せろという指示だったが、顔見て話す>>>電話で要件を伝える、なので、足を運んだ。

13時 帰宅して昼食。
13時40分 記者協会に行き、以前注文していた各紙の情報が載った年報を受け取る。この情報が少しは役に立つか。

上記の2つの情報を元に、資料の作成・修正を始める。記者については、地方長官庁を担当することとなるような記者がいるのであれば、その記者の名前を記入すればよいということなので、いずれにせよ、各紙に電話しなければならないが、電話で新聞社に話を聞くのはなかなか気後れがするので、明日に回した。

明日は、10時30分から長官室で来週1週間の発表事項を打ち合わせるので同席して、それを元に計画表を作るようにとのこと。

当たり前の話だが、目の前に数字や資料があるものから、整理した資料を作るのは精神的にとても楽で、人と議論したり情報を会話から入手しながら時間内に資料にするというのはより高度だということを、言葉の壁も手伝って、より深く認識させられる。報道資料の作成については、文章を書くのは、相当時間がかかる上、文法上や言い回しの不具合などまだまだ使い物にならないので、今回は遠慮した。

5月からは、別の研修生が1人加わるそうで、当方の研修は2段構えで、

4月・・・エロー県地方長官庁官房(報道・広報)
5月・・・ラングドッグルシオン州地方長官庁・地方行政事務局(報道・広報)(仮)
(モンペリエは州都なので、州の地方長官が県のそれを兼ねている=同一人物)

となる見通し

仕事のリズムにまだなれないので、それなりに疲れます。

2011年4月5日火曜日

エロー県地方長官庁官房研修1日目

一日目で十分お腹一杯になりました。

8時45分 職場着、同僚のサンドリン〔以前からの知り合いではない人〕氏と挨拶を交わす
9時過ぎ コミュニケーション係長のジェニー氏到着
9時半  レビュープレスの作成に参画
〔平たく言えば新聞きり。フランス語でやるのは骨が折れる。スキャンと優れたソフトのおかげで、はさみとノリは必要なし→水曜から一人でやることに〕
11時過ぎ 午後の記者会見のための準備で慌しくなり、レビュープレスを一人で続ける
12時45分―14時 昼休み
14時ー15時半 月刊の地方長官庁便りの見た目のモダン化について、担当の方と話す
16時   長官、ジェニー氏、担当課長と同乗して記者会見場へ。
・テーマ: 22010年度のホームレス住居支援の総括
・参加者: 地方長官、青少年・スポーツ地方局長、県庁担当課長、アソシアシオン複数、ミディリーブル紙、エローデュジュー紙、ディレクトモンペリエ紙、ラジオなど
・場所: 持続的な住居が見つかるまでの臨時の集合住宅。ひとつの大きな家に十七世帯が入居。
・行き、帰りの車内だが、資料を読み込む長官の質問に、同乗部下が必死に答える様子は、日本の行政と全く同じ光景。車内歓談タイムに入り、数回長官に話しかけられたが何とか答えられたものの、笑いを取れなかった。長官付きの運転手は、シルバン氏といい、空手初段、お嬢さんが日本ファン。多いなあ。
・長官は根拠なき批判に対しては、目の焦点が合わなくなりながら、しばしばエキサイトしていた。話のつかみに「日本からインターン生が来ています」とか大声で宣言された〔汗 また、会見が終わった後、ラジオ収録も廊下で行うところも見せてもらった〔長官から手招きでちゃんと見てろとの由〕。今朝は、交通担当の大臣がベジエに来ていて、午後はこの記者会見、七時からは別途会議など、六十過ぎの体には相当のハードワークと思われるが、エキサイトしながらずっとしゃべり続けているからすごい。
・現地で、同じジャーナリスト養成コースに所属の同級生クリステンに会う。彼女はミディリーブルで研修をしているので、記者として、こちらは発表側として参加。


18時過ぎ 長官庁着、
18時半  ジェニー氏と議論
帰宅



〔論文のための備忘メモ〕
●地方長官庁には、「記者クラブ」制度は無い。
●「liberté de la presse」を貫徹するため、記者会見にはどんなジャーナリストでも参加することができるし、質問をすることもできる。入場の際に「ジャーナリスト証」〔フランスでは労働法に基づく委員会が発行〕の提示を求めることなどもない。
●記者会見の実施について、午前ー午後、サンドリンが主だった新聞社・テレビ局に電話をして出席を促していた。
●モンペリエの新聞は批判色が他地域に比べて濃い〔ジェニー氏〕。
●〔モンペリエはパリがきらいなので、パリから派遣されてきた長官もきらいだという人もいる〔長官〕〕

〔今後やること〕
ー他の地方長官庁、地方自治体のホームページを参考にして、エロー長官庁のページを改善できないか

2011年3月29日火曜日

できること

帰国して復興支援を助けたい気持ちも一方であります。

しかし有事こそ浮き足立つことなく、各自の役目を冷静に果たすことが重要と考えるようにしています。


フランスでできる震災復興への活動として
 
1)募金協力
2)日本への関心をつなぎとめ、
 復興後の観光客数減少を食い止める

があると考え、2について行動しようとしています。

モンペリエでも、ジャパンエキスポのミニ版を初めて4年目になります(今年は6月24日・25日)

 Japan Matsuri ( 去年のHP http://japanmatsuri.fr/ )


そこで、主催者と相談して、日本の観光ブースを設けようということになりました。


 *イメージしたのは、各都道府県のPRパンフレット(英or仏)
を陳列・配布する、ということです。
 
 
 ちなみに、この主催者は、かなりの行動力を持っており、今年は、日本の状況にかんがみて、モンペリエ市役所を説得して補助金をもらったので、 入場料タダにできるそうです。
 
 
 マルセイユのジャパンエキスポは、マルセイユの日仏文化協会の方々や、剣道合気道弓道などの方々が頑張っておられたものの、店舗の出品がほとんど中国製であったり、日本の漫画・アニメ・JPOP文化の「紹介」「慫慂」がメインでした。
 
 日本に来たいと思った人への情報提供が、ないのです。

自分に出来ることを少しずつやりたいと思います。
 
 

2011年3月28日月曜日

2週間の語学学校修了

スタージュ前の2週間、フランス語会話力ブラッシュアップのため、語学学校に通いました。そのまとめです。


●アクサンフランセ@モンペリエ校

大変お勧めできます。従業員の質がよいです。また、先生の質も高いです(全員外国人にフランス語を教える資格を持っていますし、文学部の先生がアルバイトしていたりします)

クラスでは、
独逸人3人+当方の4人。午前3時間の授業で、一人90分はしゃべれる計算。
これに加えて、午後に90分会話の授業を毎日とりました。

中身は、
●口頭表現・・・テレビショッピングの実演、カードゲームを使った言葉・概念の伝達、母国についてのプレゼンテーション(私は天皇を選びました)、
●テキスト・・・カフカ、boris vian(鍵盤に対応する要素を用意することで、演奏する楽曲の数だけカクテルを作れる、という話でした。曲を音とお酒と2度楽しめる、という発明)

午後の授業では、
プロパガンダについてどう考えるのか、とか、間接民主主義は優れた制度か、など、ことによると、語学力不足からついていけないこともある大学院の授業よりも充実した討論の場になった場面もありました。


よかったのは、間違った表現は、その場で指摘してもらえることです。フランス人との会話では、間違っていても意味が通れば指摘されることはあまりありません。
今回の通学により、自分の間違いの癖を十分認識することができました。

独逸人は真面目に宿題をこなしてきますし、クラスの結束も高く、有意義な2週間でした。



最後に、今後当方の課題は何でしょうか?と問いましたら、担任2人の先生で、答えがアメとムチのように異なっており、これも学校側のアレンジだとしたら、よく出来た学校だと思わざるを得ません。

エロディー先生の見解
・流暢さ・・・フランス人ともっとたくさん会話をすること
・単純さ ・・・知識が増えるほど複雑に書きたくなるが、伝えるためには、シンプルさが一番重要。作文にあたって注意すべし

→叱って伸ばすタイプ


オレリア先生の見解
・まず日本語なまりのなさ、自分の言語能力に自信を持つこと。しばしば、遠慮がちにしているように見えるけれど、それは言語習得を妨げる。
・このまま努力すれば数年後にはバイリンガルになると確信しています。

→褒めて伸ばすタイプ


100のうち60分かった場合、

「60も分かった!」とよろこぶのか、

それとも


「うわやっべ40も分かれへんわ」と嘆くのかは、


自由、なわけですが、悲観主義な当方は、フランス語を話すたびに意気消沈する傾向にありました。その点、『語学学校』という場所は、話せない外国人を話せるように手助けする場所、ですので、留学生がいない当方の大学院と比べ、言語の面に集中して、快適に学ぶ場所となりえたように思います。

2011年3月24日木曜日

モンペリエ市主催追悼式典

昨日参加し、記事にしました。(記事:フランス語)
君が代が鳴り響いたとき、祖国を思う気持ちとともに、涙があふれました。
フランス人が、真剣に日本を心配し、協力を表明してくれることに、敬意を表します。
これまで分散しがちだったモンペリエ在住日本人が結束しつつあります。
新しく団体を立ち上げ、募金活動などを実施していくことになりました。記事による周知など活動の支援を通じて、少しでも復興につながるちからになればと思っています。

2011年3月12日土曜日

今週は1週間は雨模様

モンペリエでは、どんよりと重く、暗い、どこまでも続く苦しげな空が続きそうです。
東北の大地震のことは、モンペリエ在住日本人の間でも、そこかしこで噂になっています。
悪いことは、重なるといいますが、出来るだけ最小限で、食い止めなければなりません。

2011年3月10日木曜日

期末試験終了

2日目
ジャーナリズムの政治史
1)ジャーナリストの職業倫理は国家理性をもたらすことが出来るか
2)次の、エミールゾラ「わたしは 糾弾する」の一節を読みコメントしなさい

ジャーナリズムの経済
全国紙は現在の危機に打ち勝って生き延びることが出来るだろうか

3日目
よく分からない試験
・ブレイキングニュースと二番煎じという言葉を定義しなさい
・エジプトの市民革命に関する次の8ページからなる週間紙記事を読み
-可能な限り多くのアングルをあげなさい
-総論ペーパーを作成しなさい
-情報的なタイトル・示唆的タイトルの両方を提案しなさい

一番最後の試験が、もっとも大変でした。これは正直、能力の限界を超えています。
フランス人でも終わらなかったという学生が居ました。

とにかく、これで、2年間最後の期末試験かと思うと、かんがいもひとしおです。

残すは、地方長官庁でのインターンと、論文の作成、記事の執筆といったところです。

2011年3月1日火曜日

期末試験 初日

2月28日は、期末試験の初日です。

28日は、
ジャーナリズムの哲学(3時間)
ジャーナリズムの社会学(3時間)

1日は、
ジャーナリズムの歴史(3時間)
ジャーナリズムの経済学(3時間)

2日は、
よく分からない試験あり(3時間)


大学入試並の体力消耗です。家に帰ってきたところなのですが、これからすぐ明日のための復習なので、なかなか休めません。

今日の御題は、


ジャーナリストが犯す名誉毀損について、善意の例外というのがあるが、この要素に触れながら、ジャーナリズムの原則・ルールの実地での活用について述べなさい。

午後
ドミニクコードンがデモクラシーインターネットで述べた、インターネット革命は、民主制を深化させ複雑化すると同時に、代表民主制への代替の提供への世界規模の実験となる、との議論について、説明し、描写し、議論しなさい。

というもの。
ちょっと勘弁してもらいたかったですが、2つ目のは、その本をたまたま読んでいたので、書けはしましたし、1問目も、ジャーナリズムと法律の試験で勉強していた知識が残っていたので、書くことは出来ました。あとは、外国人であることでどれだけ「ゲタ」をはかせていただけるか、でしょうか。

明日も頑張ります。

2011年2月26日土曜日

ジャパンエキスポ@マルセイユ 初日

 コライユテオズに乗って、一路マルセイユへ。
車窓から、地中海が見えてきました。
 マルセイユ・サンシャルルTGV駅から、地下鉄で5つ行ったところに、ホンポワンという駅があり、そこをあがるとすぐに開催地のパルクシャノ(parc chanot)が見えます。
 入り口前の掲示板に、ジャパンエキスポの文字が。
 12時。すでにスプラッシュマウンテン並みの長蛇の列あり。
 マルセイユの太陽をなめていました。すでにダウンジャケットで、熱射病になりそうでしたので、腰に巻きましたが、半そでTでもいいくらいでした。
 チケットを購入して、会場へ。漫画やアニメに関連する商品の出店がたくさん。雰囲気出てきました。
 合気道。個人的関心は、むしろ、「伝統文化がどの程度紹介され、フランス人が興味を持っているのか」ということにありました。


 日本のアイドルショップ
 コスプレ少女たち。ほとんどの女子がコスプレ姿でした。日本=コスプレかと思われたらそれはそれでちょっと違いますよね。
ただ、彼女達、とても似合っています。本当にアニメのキャラみたいでした。
 久しぶりに、牛丼をいただきました。7ユーロ
 せっかくなので、ヲタクカメラマンのどさくさにまぎれて1枚
 それでいいのか。あなたの人生。
韓国の方による経営と分かるブースも。









秋葉・ストリートシンガーの有希さん。フランス・ドイツで最近ご活躍だそうです。一体誰がどのようにプロデュースしているのだろうと気になりました。

秋葉ダンサーズが1名ついてきていたようで、ついに当方も、そのダンスを目撃してしまいました。

2011年2月23日水曜日

モンペリエ悪徳不動産屋との闘い(其の3)

信頼できるフランス人に相談しました。(2010年8月末)

去年論文のときにインタビューに応じてくれたサンドリンさんです。公務員だし責任感が強いので、すぐに協力してくれることに。
事情を紙で説明し、面談。

1週間後、2人で不動産屋に行きました。
相手の対応次第で、すぐに裁判所にいけるよう、訴状も準備していきました。


社長「こんにちは。ムッシュ当方。マダム、あなたは・・・」

サンドリン「あなたが社長ですか?当方さんのアパートの管理について問題がありますので、お時間いいですか?」

社長「なんですか?あんた弁護士?」

サンドリン「いいえ、トモダチです」

社長「で?」

サンドリン「(事前準備していた訴状を読み上げ)」

社長「おいおい、こっちは色々当方さんに協力してるんだぜ。不動産屋って言ったって、困ったことがあったら面倒見てやってんだろ」

サンドリン「ですが、小切手を書き換えるのは犯罪です。またガス代についても水道代同様に、請求の根拠となる資料を直ちに見せてください。」

社長「ままま、わわかった。ちょっとこっちも確認がいるから、時間をクレ。来週またきてくれ」

サンドリン「すぐに資料を見せられないということ自体が、職業的誠実さを疑わせる行為です。何故ここで提出できないのですか。このまま裁判所にいきましょうか?」

社長「ちょっと担当者もいないし、とにかく準備するからっていってんだろうが。」

サンドリン「其の日まではじゃあ待つことにします。その書類が確認できることを期待しています」


其の後、約束の日から、実行犯の兄ちゃんから、1時間に数十件のメールと電話が来ることになります。

「お願いダー。許してクレー。カネなら返すからー。」
「電話に出てクレー」
「今からおまえんちいくぞー」
「下でまってるぞー」
「おれ仕事失っちゃうヨー」

など。


続く。

仏語力強化への道

インターンを前に、もっと仏語力(特に会話力)をアップする必要があります。
耳は慣れましたが、口はまだまだです。


学生の町、モンペリエ。
モンペリエといえば、語学学校。


というくらい、外国人のための語学学校はたくさんあります。(以下参照)


(大学付属)
・ポールバレリー(モンペリエ第3大学)付属 IEFE(ココ)

(私立)
・ヨーロッパフランス語学院(ココ)
→日仏学院ご推薦
・エコールクレス(ココ)
・アクサンフランセ(ココ)
・ILA(ココ)
・アリアンスフランセーズ(ココ)
・LSF(ココ)

有名どころでこんなところでしょうか。

ただし、問題は、日本人やアジア人への配慮があるか、という点ではないかと思うのです。
1年半生活した実感として、モンペリエというのは、
外国人が多い、といっても、地理的に、ラテン語起源で、フランス語と似たような言葉を操るスペイン人との混血が進んでいますし、北アフリカからの移民たちは、母国語がフランス語ですから、仏語に不自由が無い人が多いのです。

つまり、「フランス語が話せなくてすごく苦労している外国人」というものへの免疫が低い(=理解できないので、話せない人への対応があまりやさしくない)、と感じます。

おおざっぱに分かりやすくいうと、東京人(=フランス人)が、東北弁(=スペイン語)を聞くようなものかな。そこにアメリカ人(=日本人)が、カタコトの日本語で会話に入ってくるようなものです。




しかし、最近は、中国人が非常に進出してきていますので、IEFEあたりではあまり懸念がありませんし、何より交換留学などで、名古屋外大などからいらっしゃっている日本人大学生の方もちらほらと見かけます。

で、結局、アクサンフランセに行くことにしました。家から5分のところにあるというのが決め手。
→ http://www.anokuni.com/program/detail/id/308/

ディスカウント留学(HP)を利用すれば、授業料が5%引きになります。


早速お金を支払いに行ってきました。
事務局の建物は、校舎と別なのですね。儲かってますね。
事務局、とても感じがよく、街中モンペリエ人と同じとは思えませんでした。

クラスわけの掲示板を見たところ、どうやら初心者クラスが多いようです。
日本人の方も2,3人名前を発見しました。

私は3月2週間みっちりお世話になる予定ですが、実践的な会話能力が高まるよう、頑張ってきます。

キリ番12000

キリ番12000は、南国M市のN部長でした。
同部長は以前愛地球博のマスコットがお好きだったようです。
帰国したら、また以前のように3人のおなかまで、山登りか居酒屋+ラーメンで(遅刻者1名ありでしたが)、ご一緒させていただきたいものです。

2011年2月17日木曜日

中程度回復

なんとか復活しつつあります。
現地の医者に行ったら、診察2分くらいで、インフルだから薬出すから帰って寝な、みたいな扱いを受け、もらった薬がこれ。

一部飲み切ったのでもう写せなかったものもあります。

処方箋もらって薬局に行ったら、システムが立ち上がらないといって10分待たされるし遺憾でした。


錠剤については、粒が異常にでかい。抗生物質なんて、私の小指の第一関節です。おかげで3日3晩飲み続ければウイルス退治には十分だったようです。

ところでモンペリエにも日本人のお医者さんがいらっしゃるそうです。ただ、中心地からはバスにのったりしないといけないので、 車が無いと、ちょっと辛いです。特にこういう症状が重いときには。。

2011年2月15日火曜日

インフル

この度、インフルエンザを発症させていただきましたので、
数日更新が遅れます
高熱でタンパク質が凝固する、しないの闘いですので、頑張って来ます

2011年2月11日金曜日

サルコジ大統領 vs 市民代表 @TF1

TF1で市民の怒りと質問に答えるサルコジ大統領(2月10日)

裁判官もストライキするなど混乱した状況で、2時間半の真剣勝負です。
市民も大統領も、ノンペーパでこれだけ議論できるのがすごいです。

エドウィープレネル氏のサイン

今日でほとんどの授業が終了しました。あとは試験と、記事の大量作成、インターンと論文という実践に特化することになります。

最後の授業ということで、エドウィープレネル氏にサインをお願いしました。

彼の著作は1992年に一冊だけ邦訳(こちら)されていて、そこでは「フランスを代表するジャーナリスト」と書かれています。

2011年2月9日水曜日

報道法の口述試験終了

今日は日記です。1つ山を越えました。

ジャンマークマイヨ(一番上の右)弁護士の先生です。
テープおこしに1週間以上かかり、頭に入れる時間が1日くらいでしたが、「アルファベットでものを覚えて、アルファベットでしゃべる」という経験は、もうたくさんだと思いました。辛い。
漢字でなら、イメージが浮かぶものも、アルファベットだとなかなか難しいです。

ジャーナリストの法的地位、取材源秘匿の欧州法・仏法の違い、名誉毀損など8つの事項のうちから、1つ選んでプレゼンし、質問に答える、という形式です。

去年のペレスやアリエスのときと比べ、顔面蒼白・唾液欠乏・過剰震動などの症状もなく、それなりに言葉を継いで話せたので、1年前よりは、成長したと思います。

これから、
月末に5つの筆記試験、それまでに2つの提出課題があり、それを仕上げたいと思います。

5つの録音を起こす時間(総計100時間)はさすがにないので、今度は同級生にノートを借りようかと思います。1つくらいは自分の力で頑張ったと思えるもの(特に法律だったので)をと思って、今回はやせ我慢しましたが、扁桃腺炎を発症しつつ、深夜までテープ起しするのは、悲しいかったです。
書き取りの練習になり、フランス語力は向上したと思います(思いたい。)

2011年2月7日月曜日

フランスにおける日本は在りし日のGLAY

高知県に住むW課長さんから、金沢市がフランスへニュースレターを発行し、ますます観光客誘致への取組みを強化しているとの記事について、教えてもらいました。
(フランスから観光などで市内を訪れて宿泊した人数は4654人と、2年前に比べ約2000人増)

2010年6月のジャパンエキスポ(パリ)の総動員数は16万5千人だったそうです。
ロックバンドのグレイが20万人野外ライブを行ったことを思い出すと、当時のグレイの人気さながら、フランスでの日本熱が高まっているといえるでしょう。


ジャパンエキスポ(クールジャパンブログ)
公式サイト
ジャパンエキスポ・マルセイユ公式サイト


しかし、ここをみると、日本からの売り込みが足りないように思います。

確かに、参加者には、政府関係者(外務省)が2名含まれて居ます。
外務省のお役人が2人参加する「だけ」では、あまり効果があるとは思えません。

自民党政権時代に同党がまとめた外交の方針ともいうべき「アクションプラン10」には、

・「地域に活力」を目指す地方の国際化を支援
・ポップカルチャー人気を活用して、伝統文化や日本語などの普及を図るための文化発信ボランティアの創設

といったことがあげられています。


先日のラングドック州地方長官のように、自ら公邸に招き日本人との交流を持とうとするような人や、大使・総領事公邸でのパーティで集められる人たちも限られています。

したがって、日本への観光客誘致のためには、こうした人気展示会に、せめて日本の各自治体の観光案内(英語版かフランス語版)を置いてもらう、あわよくば、地方ブロック(関西圏、東北圏、九州、四国、北海道)ごとのブースを設ける、といったことが必要なのではないかと思います。

(なお、「企業支援」の観点からは、経産省のクールジャパン室が、このジャパンエキスポに目をつけている、という記事が、朝日キーワード2012に載っていました。)




確かに財政赤字のため、文化や広報予算は真っ先に削られていますので、お金を掛けることが難しい分野になりつつあるのが残念なところですが、現地に住む日本人の会や都道府県の国際関係部署などをうまくつなぐなど、やりようはあります。






また、外国を知るのに、まずは政治から、というケースよりも、音楽、歴史、映画、言葉、絵画、など、文化に触れて興味を持つ、ということが多いのではないかと思います。





外交のためにも、内政(観光)のためにも、双方の関係者の接近が求められています。

2011年2月4日金曜日

カトリック: 2月4日はクレープの日

左:ジャニー、右:セリア。奥に見えるのは畳です。

今日はクレープを食べる日(*)。一昨年語学学校のチュータとしてお世話してくれたセリア+ジャニー(ともに26歳)邸にお呼ばれして、クレープをごちそうになりました。

特に、セリアは、当方が、初めてモンペリエ駅に降り立った日に、「当方さん」というカードをもってお迎えに来てくれた人なので、当方にとって記念碑的人物でもあります(参照

(*)Chandeleur というカトリックの習慣で、キリスト誕生の披露と、聖母マリアのお清めの日を祝い、2月初旬にクレープを食べるのだそうです。なお、教皇庁への巡礼者に恵与することで、この日にクレープを食べることを広めたのは、5世紀のローマ教皇ゲラシウス1世(出典: ウィキペディアfr)

セリアは、FLE(外国人にフランス語を教える資格)の修士を終えて、今は中高英語教員になるための試験を受験中
実際、英語もペラペラで、外国人との意思疎通に慣れています。英語(を含めた外国語)の勉強には、オーディオブック を使うといいと薦めてくれました。

ジャニーは、中高の歴史教員試験受験中で、ちょうど今日、11月に受けた筆記試験に合格していたとの連絡が来たそうです。おめでとう。
彼は、歴史大好きで、中世の歴史などについて、(一方的に)1時間以上講演してくれました。その他政治の話など云々。どちらかというと、ひきこもりタイプじゃないかなーと思います。まっすぐな人なのですが。



ところで、1つだけ、どうしてもいやでたまらなかったことがあります。


この御宅、なんと「モンペリエ悪徳不動産屋」の目の前にあるんです。

最初、住所の連絡をもらったとき、おいおい実はグルで、行ったら密室でしばかれるんじゃないだろうな、などと、妄想してしまいました。

到着してからも

当方 「ん?なにこれ」

セリア「 中世の両刃剣よ。」

当方「 ええ?でも、これでは、人は殺せないよね??」
ジャニー「いや、やれるとおもう。」

当方「('A`)」


えっと、逃げる?


いや、よくよくあとで聞いてみると、ジャニーの歴史、特に中世好きからくる趣味のようでした。ほかにもくさりかたびらを所持しておりましたし、、

というわけで、最初はまったく気が抜けませんでした(笑)

セリアは、日本が好きなようで、宮崎アニメ(すでにアリエッティを鑑賞済)やランマ2分の1をDVDで見て、ファイナルファンタジー8で遊び、畳と布団で寝ています。

先日、官選知事が述べていたような「フランスには日本文化を知らないフランス人が多い」という感覚は、少なくとも彼らの世代では、通用しなくなると考えます。

帰りに、ふたりから、「ずいぶんフランス語が上達したね」と言われたのですが、彼らは本当に当方のスタート時点を知っているので、この1年半、嗚呼、自分の努力も無駄にはなっていないんだな、と、少し思いました。


彼らが作ったクレープ、おいしかったです。作り方を教えてもらうのは、この次になりそうです。

2011年2月2日水曜日

「近さ」の概念

こそあど言葉、フランス人にとって身につけるのが難しい表現の一つです。


「それじゃあ、今日は、その辺で」

とスカイプのあちら側にいるオレリアン君がいうので、

「それは、「この辺で」だね」

と訂正したら、違いの説明を求められました。


一般に、これ、は自分の領域、それ、は相手側の領域を指すとの説明だと、
「だけど、スカイプで話しているので、距離は離れているのに、「この辺」なの?」
との由。

確かに。。。
当方としては自然に、同じ場所でスカイプを共有して会話しているから、「この辺」、だろうと思ったわけですが、距離が離れているといわれると、彼の疑問もわからなくはないなと。


ここでいう近さというのは、「物理的な距離の近さ」というよりも、「支配可能性」なのではないかと思いました。
例えば、近くにいる同僚が、「その辺でやめときな」と注意するとしたら、それは、画面から遠いということの裏に、自分の支配領域にない、操作可能性が無いということを含むのかもしれません。

フランス語では、その辺は(←支配可能性が無い)あまり厳密ではないように思います。

しばしば少しだけ日本語を勉強したフランス人に、「日本語は(フランス語と比べて)簡単だ」といわれることがあります。確かに、複雑な活用の種類も少ないかもしれませんし、多少活用を間違っても問題ないでしょう。

しかし、日本語の話し手にとっての難しさとは、相手との関係性を見極めながら、近づいたり、離れたりする日本文化の理解が、不可欠な点にあるのだろうなと改めて思いました。

2011年1月30日日曜日

官選知事との会食(結果)

応接室での記念撮影
席者は、総領事ご夫妻、kご夫妻、外務研修員
先方が、プレフェ(官選知事)ご夫妻+料理人、Mme Demoulin(当方の友人)、ENA研修生(ルーマニア人)、と、多種多様な会でした。

大変ご立派としかいいようがないプレフェ公邸では
目の前のお皿をきれいにすることに必死でした。
結婚式みたいな名札カードが席に置かれていて、指定席がプレフェの隣に配置されてしまい、質問が常に真剣勝負で勉強にはなりましたが、かなり緊張・疲弊しました。


しかし、総領事ご夫妻は温厚な方々で、また、総領事が終始会話をリードされ、完璧なフランス語でユーモアや駆け引きも長けておられたおかげで、たくさん勉強になりました。その意味では、大変有意義な会でした。




(以下、備忘録)


肝心のインターンの件は、サンドリン・ドゥムランさんが、プレフェが到着後に、当方の紹介をしつつ依頼してくれたのですが、その際、当方は、当初他の人との会話に気をとられていたため、何を話しているのかつかめていませんでした。

すると、アツイ視線がまっすぐこちらに向けられ来るのを感じます・・・・
(こういう顔です()。2メートル先)





プレフェ
「VOUS MAITRISEZ LE FRANCAIS ?」(貴殿はフランス語に堪能ですかな?」


 ええ?


話せないとダメって
ことでしょうか・・・



当方
「スバラシイフランス語は話せませんが、スタージュを通じて、改善していけばいいなと思っています」



プレフェ

「まあ、すでにそれなりに話せているじゃないか ニヤ」






・・・よかった。んでしょうか。






それでテーブルに移り、いろんな会話がありました。




・フランスの出生率とその原因について
・プレフェにとってのモンペリエについて
・2009年日本で最も売れたワインはオード県のものであることについて→「神のしずく」の話題
・日本のカキを養殖用に輸入していることについて
・日本の環境技術の進歩について
・日本にいくため休みを取りたいが、大統領が活動的なのでプレフェが不在となることで不都合が生じる懸念があり、総理が許してくれるか分からないことについて
・日本の家庭科教育と日本の治安維持の関係について
・プレフェはきむちとしゃぶしゃぶが苦手なことについて
・プレフェは京都とならが好きなことについて
・プレフェは地理教師であり、日本とイギリスを専攻していることについて


など


途中、おもむろに日本ガイドブックを持ってきたプレフェから、日本語会話をご進講するよう依頼されました。
まず、総領事が「私はフランス人です」というのを発声しましたら、プレフェ大喜びです。
隣にいる当方に対して、どうやって書くのか、とおっしゃいますので、お教えしましたら、ガイドブックの余白に書付始めなさいました。


プレフェのノート:
「 watashi wa france djin dess,  kudasai acca wine, shilo wine」



・韓国語と日本語の違いを聞かれたので、文法的には語順が同じですと説明しておきました。







2011年1月28日金曜日

官選知事との会食(前夜)

ひょんなことから、明日のお昼、モンペリエの官選知事との会食に参加します。
相手は齢60歳のエリート官僚ですし、緊張します。
インターンをお願いしているので、自己アピールも怠り無く実施したいと思います。


※官選知事とは、正確には、内務省から州都及び県都に総理大臣の命で派遣されている地方長官で、国のお役人です。(イメージとしては、地方都市への大使、という感じ)
公邸もあります。
※州知事・県知事に当たる人は別途間接選挙で選ばれます。



ーーー下調べーーー


・son accessibilité et une bonhomie assez inhabituelle
 長官として大変珍しい「近づきやすさと善良さ」


'il avait été élevé par une grand-mère tenancière d'un bistrot parlant le patois et un grand-père menuisier. 
 おばあさんはレストランのオーナー、おじいさんは造作大工で、彼らに育てられた。


・convoquer  pour des voeux lyriques : « Les rêves les plus fous se réalisent toujours. »
マルチン・ルーサーキング を引きながら、「強く願えば夢は必ず実現する」と退任挨拶。


・もともと学校の先生(地理)
・ENAでの同期名は「連帯」 




2011年1月18日火曜日

Midi libre(南仏地方紙)見学

 22時集合で義務なので行って来ました。ほとんど社会見学のようなものでしたが、新聞社に行ったことがないので、勉強になりました。

 ミディリーブルでは23時に初版が出来ます。朝2時までに特大記事が出なければ、最終版を印刷します。
この写真は、印刷後、労働者が配置や色合いなどをチェックしているところです。おかしければ、直すのは彼らです。
なお、労働者の権利が強いのを感じたのは、会社から彼らのために、大きなパイとシャンパンが複数用意されていたことです。


 フランスでも、日本式オープンスペースの会社もあるのですね。
印刷機械。工場でした。まさに一大産業です。

2011年1月12日水曜日

スポーツ:仏での競技人口4位に柔道、16位に空手

フランス人は、スポーツが好きです。国を挙げて奨励されています。
戦後、ドゴール大統領が、東京五輪での散々な結果を嘆いて力を入れ始めたのがきっかけです。
日本でも、文科省内の端パイでなく、新たにスポーツ庁 (仮称)を作って本格的にスポーツ振興をしようという動きが出てきています。


ところで、人気のあるスポーツですが、2009年競技人口で見ると、

1 サッカー 223万人
2 テニス  112万人
3 乗馬    65万人
4 柔道    57万人
5 バスケ   45万人
・・・
16 空手   20万人

となっています。 日本と違って、野球はないんですね。

フランスではとにかくサッカーです。

このため、日本でよくありがちな夏の風景
:「うちの亭主は、帰ったらビール見ながら寝転がってプロ野球中継みてばかりでさー」
といった描写は、

フランスでは、
:「おとこたちって、いつもサッカーのことばかり。脳内占いでもサッカーとxxのことしかないって出るわ」

という皮肉まじりの言説に取って代わられています。

以下は今日の授業で学んだことから:

フランスでは新聞存続の危機が語られる程度に売り上げが落ち込んでいます。しかし、スポーツジャーナリスト、については、不況・新聞不審知らず。120以上のスポーツ新聞・雑誌があり、若手記者でもすぐに署名入りの記事を出せるとのことです。

スポーツジャーナリズムは、しかし、アイフォン・アイパッドなど伝達手段の向上に対応して、いっそうの難しさを抱えています。

つまり、試合結果の速報性がさらに重要になる一方、スタジアムの荒々しい雰囲気かつ興奮によって言語不明瞭になりがちな選手達の意を汲み取り、文体美しく、リズム感のある、それでいて批判精神に富んだ記事を矢継ぎ早に生み出す能力が求められるのです。また、批判しながらも、選手やトレーナーとの良好な関係を保つことが必要です。

これまで、「スポーツ記事」なんてと思って、あまり読まなかったのですが、これからはこういう観点でチェックしてみようと思います。

2011年1月8日土曜日

ひどいおせち料理商品に集中放火する日本人

グルーポンでバードカフェのおせち料理を買った方の声を集めてみた 「おせちを作るだけの実力がない」 

(こちらも参照)

 400円弁当?-記事の写真を見ると、これがおせちかと目を疑う。実際、購入した客からの反応は、引用すると次のとおり。


社長が辞任する前に、電話かメールでお詫びするのが筋ではないでしょうか?

「詐欺+食の安全無視」だと思います。
あのスカスカなおせちを詰めて、誰も疑問に思わなかったのでしょうか??

あんなおせち、出来上がり見て発送OK出した人(社長?)頭悪いと思う。飲食店やる資格なし。


確かに、売り出しのちらしと現物を比べれば、質の落差が明らか。口に入るもののことだし、年頭の華やかな食卓を楽しみに袖を振った方にしてみれば、正月早々出鼻を挫かれたことに腹を立てる気持ちもよく分かる。上に引用した2つ目の記事では1万円のフルコースやコンビニおせちとの比較が載っているが、購入者の残念な気持ちを共有するには十分に豪華である。


一方、「2万円の御節が1万円で買える」という触れ込みを信じることについては、「安かろう、わるかろう」の原則が妥当するような気がしないでもない。また、元旦を家族でことほぐ限られた機会であればこそ、外で買ってくるのであれば、その選定に慎重に慎重を期すことが望ましいといえるだろう。

そう考えると、被害者の罵詈雑言はやや傾きが大きい。このような厳しい消費者が企業努力を促してきたこと、逆に品質がよければどんどん売れるから、ひいては日本の発展につながってきたであろうこと(実際は、海外輸出に支えられてきたので、質の向上へのまなざしが間接的に日本製品への信頼を支えたという方がより正確か)、は賞賛されるべき美徳であると思う。

しかし、新聞、テレビ、インターネットを通じて、一方的に罵倒しつくすまでの必要があるのだろうか。日本は法治国家なので、取引行為において不利益を与えたとすれば賠償すべきだろうし、その意味での責任を果たすことを求めるのは正しいが、 消費者の側にも選定責任や自省を求めてこそ、再発防止も期待できようというものである。

とかく日本では問題が起きれば、一方を袋叩きにする傾向にある。医療事故では医師が悪の権化となり、社会総がかりで集団リンチを加える。その結果、医師不足が問題になる。

「世間の目」が治安や規律を維持してきた日本では、一旦敵とみなされるや、世間は暴走する。そこに論理性や議論はない。

テレビでは、現代版遠山の金さんともいうべき、世間の代表者をきどるキャスターが

・ 「いったい何を考えているんでしょうかね」
・「国民をばかにするのもいいかげんにしてほしいですね」

という、もしかしたらキャスター自身のことを言っていると勘違いできるかもしれない決め台詞ばかりを口にすることにより、事件のポイントや争点が何であって、経緯やその理由、賛成反対の議論とキャスターなりの説明など、まともに解説を述べる義務が免除されている。

 そのしわ寄せは、当面の間、批判のはけ口が全面的に受ける。そのうち、耐え切れなくなって決壊すると、還流して、国民ひとりひとりに帰ってくるということに、なぜか気づかない。

この点を捕らえて、日本のマスコミを「マスゴミ」と呼び、日本を沈没させたい集団というむきもあるが、彼らが故意なのか、単に平和な日本の鏡なのかは、はっきりいえないと思う。彼らが常に「カモ」を探し続けている、ということだけはいえるかもしれない。

その意味では、このおせち料理事件、正月早々、おいしいネタがいただけて、マスコミには「ごちそう」だったにちがいない。

11111

キリ番11111はまたストラスブールのU田君でした。もしかして本当にインターネットを駆使しながら自宅警備員をしているのかもしれません笑

9000

キリ番9000は、奈良県K町役場次期総務課長のO野書記でした。

2011年1月6日木曜日

予見可能性の低い社会

おフランスでの携帯事情

一事が万事、この記事のようなことが日常茶飯事です。
アメリカ人でも同じ目に遭うのだということがわかって、何故だか安心しました。
いくら休みが多くても、どんなにファッションセンスがよくても、こんなに予見可能性の低い国柄では。。。

授業開始

4日から授業開始しています。

先生は、サルコジ大統領と全面対決しているエドウィープレネル氏 です。
いきなり朝から夕方までマシンガントークを聞き続けるのは、堪えます。

今日の午後は、彼が何故編集委員まで勤めたルモンドを首になったのかについて、ここに初めて明かす裏話!をとうとうと語っていましたが、熱が入るあまり、かなりスピードアップしていたので、私には大半意味不明でした。(登場人物が複数かつ関係性が分からないという話になってくると、思考回路がついていけなくなります)

とにかく、闇の力(笑)によって葬られてしまったようです。フランスは民主主義の国といいながらも、権力とつながった新聞社の存在や、大統領の強大な権力によって、実際には民主主義がかくあるべしと思われているようには、機能していない、というのがこの課程に所属して以来常々語られています。

2011年1月3日月曜日

2011年

在仏研究生活も残り半年強となりました。

段々日本語が不自由になりつつあり、しかしフランス語も大幅には上達せず、苦しい時期を迎えています。

それでも、昨日よりは今日が成長していると実感できるよう精進していきたいと思います。

今年の元旦はドイツはバンベルクから来たA氏によるドイツビール祭とともに明けました。素敵なお土産たちをありがとう。

クリスマス@ツール

アンボワーズ
 最後は、パリからTGVで2時間、ツールを拠点としたロワール川周辺の古城です。
アズディン君の車で1日かけて回りました。

なかなか秀麗なつくりなのですが、だんだんどれもまあ同じに見えてきて、3つも見ればもういいかとおなか一杯になってきます。

個人的には、京都の二条城の方が好きだなあと思ってしまったり。
シュノンソー。なぜかU田君に遭遇。

今回は、雪による交通機関の乱れが直撃したこともあり、旅程変更を移動中に行うという、やや難易度のあるものとなりました。ただでさえ、寒さや移動の疲れで消耗しているところに、ホテルや電車のキャンセル、再予約などの事務で、アタマがエネルギーを使ったため、なかなかしんどかったです。

旅行先でもインタネットが使える環境があることは大事だと実感しました。USB型の接続器具とパソコンを持参していたので、ホテルのキャンセル料も1日目だけで済みました。電車も、変わった旅程にあわせキャンセルし、新たな予約をしたものについては、ホテルのフロントにメール添付でEチケットを送ってプリントアウトしてもらうなどの方策をとりました。
シャンボール城

クリスマス@パリ

シャンゼリゼ通りと凱旋門
パリもキレイでした。でもどちらかというと、モンペリエにはない日本人街で、日本食と仏和辞典を手に入れられたことがうれしかったです。

12月24日21時丁度

エッフェル塔1Fからシャンドマルス公園を望む

クリスマス@ストラスブール

 こちらも美しかったです。本来2日滞在予定でしたが、雪の影響で1日しか滞在できなくなり、S水さんには会えませんでした。
窓口やホテルマンなどの対応を見ても、外国人にとって、大変住み安そうな街でした。これも、モンペリエと大違いです。

首尾よく案内をしてくれたU田君に感謝します。

クリスマス市@ドイツ

 ドイツのクリスマスマーケットを見に行きました。シュトゥッツガルトというところです。

小さな露店がそれぞれに凝った装飾の屋根を持っており、夜になるとまばゆいばかりの電飾を伴って、幻想的な雰囲気となります。そのような店舗が300以上集まっているというのですから、にぎわうわけです。ここにたどり着くまでに、雪の影響で飛行機フライトの取消し、代替手段としての電車も4時間遅れなど、大変な目にあいましたが、見られてよかったです。