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2010年3月16日火曜日

フランス絵本(Une nuit, un chat)

絵本ー「夜と猫」

 絵としては幼稚園児向けでも、台詞の読解は小学低学年といったところでしょうか。それでも知らない単語が5つくらいありました。嗚呼無残なアラサー男と仏人はいう。ネイティブからすれば小学生なのです。ハイ。

とはいえ、絵本といえども言語学習はもちろんのこと感性の涵養には重要な役割を果たします。この本に関してこんな論文もあります。

「ドブネズミによる犯罪というよりも、気づかれずに行われる父親による助けによって少しずつ息子が自律していく物語」
「字面と絵の間に現れる「影」の絵は、読者自身に自発的解釈をゆだねるものだ。」
「絵本の風景は、フランスの大都市の文化的な風景を描写している」

というわけで、自分の勉強もかねて訳出してみました。絵がないと分からない部分は想像で補ってみてください。

<以下、試訳>

毎晩、グルショ(主人公の子猫)はベッドでいい子に過ごしていました。でも、今晩は不思議な力で動かされたのです。屋根裏を乗り越え、一人で外へ出かけるのでした。
 両親はこのときを待っていました。
「やったわ。出て行く音を聞いたわ。」
「ああ。わたしもだ。ついに今夜か」
すべての猫の両親は、こんな夜―わが子が初めて一人で出かける夜―を不安に待っています。
かわいそうなわが子が迷ったりやしないか、屋根から落ちて、穴に入り込んだりしないか。最悪なことに、すでにたくさんの子猫を貪り食っていたドブネズミがその地区をうろついていたのです。
ところで、猫には、次の鉄則があります。子猫が夜、はじめて一人で出かけるとき、両親はそれをとめちゃいけない。もしそうしたら、それは猫にとっての不名誉、という・・・
  
「でも、あなたアノ子に気づかれずについていってください」
「ああ、誰にも気づかれるもんか。いずれにせよ、一晩中じっと帰りを待つなんて気が狂ってしまうよ」

夜は、楽しく、とても親しみがあり、やさしさでいっぱいです。
グルショは熱狂的で甘くめまいがするほどの弾んだ瞬間を生きようとしていると感じています。夜には、猫達は眠り、本を読み、いちゃいちゃし、散歩し、あるいはお祭りをしています。
その夜、グルショはさえない猫はいないことを目撃しました。

ほどなくして、大きなおかしな影が取り囲みます。グルショは影を恐れません、ただしそれがあまりに大きく、あまりにふつうでない場合を除いて。夜は気まぐれ。ときどき恐ろしい影を意気地のないものに与えてもてあそぶのです。

「グルショです」
「私はキティよ」
「夜一人で外出するのはじめてなんだ」
「あら私も」

ドブネズミだ!

全力で逃げる、逃げる。それしかありません。しかし、戦力は不平等です。幸いにも、ねずみはつまずき、道に倒れこみます。しかし、すぐに立ち上がり、怒りにいきり立ち、また追いかけ始めます。

いきどまりだ、とグルショとキティ。
「君は穴のみぎへ、僕は左へ行くから」

いうがはやいか、ねずみのほうはというと、、ネズミは?ねずみってなんでしたっけ?ええ?もうネズミはいない!(穴に落ちたのですー註:文字にはなく絵から解釈)
「策士よのう、わが子や」(註:影から見守る父猫の描写あり)

「なんて素敵な夜でしょう」とキティ。でも続けて、「そろそろ帰らなきゃ。」 というのも、猫はいつも夜明け前に帰るものなのです。

グルショは彼女を家まで送っていく機会に恵まれました。ハッピーでした。
グルショーとキティはまた会う約束をし、別れました。グルショーは胸を高鳴らせながら屋根へ帰り着きます。
「わが子や!」とお母さん。
「坊や」とお父さん。
「うまくいったの?」
「もちろんさ」
「どこも怪我してない?」
「うん」
「何も大変なことはなかった?」
「なかったよ、ママン。。」

それに、次の夜も出かけるんだ!

おしまい。

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