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2009年11月8日日曜日

フランス人記者による日本のマスコミ批判

モンペリエもすっかり寒くなりました。コートなしには道を歩くこと能はず。

やや古い記事ですが、こういったところにも、政権交代の反射効があるようです。

政権交代でも思考停止の日本メディア

痛烈な批判です。ここまで言われると批判客体にも同情を禁じえません。

<引用開始>
日本の報道機関はその規模と仕事熱心な姿勢で名高い。だが知性あふれる人材を多数そろえながら、ここまで非生産的なメディアも珍しい。やる気のなさは、まるで冬眠中のクマ。けれどもひとたび──めったにないことだが──獲物が現れるや、一撃で残酷に息の根を止める。
 
 酒井法子被告をたたきのめしたのもそうだ。テレビ局はヘリコプターまで動員し、謝罪会見に向かう酒井の車を追った。ヘリを飛ばすのに1分いくらかかると思っているのか。二酸化炭素をどれほど排出するか。それだけの価値がある情報なのか。人をリンチするのが報道なのか。

(略)

ムダ話党(注 日本のマスコミのこと)の意見はその場かぎり。記憶力もない。10分しか記憶できない金魚みたいなものだ。昨日まで官僚から情報を仕入れていたというのに、一夜明ければ 「国民の敵」としてよってたかってたたく。

会食の席で「私は官僚です」など と自己紹介したら、新型インフルエンザの患者みたいにぞっとされるだろう。「事務次官」なら、間違いなく八つ裂きだ。

<引用ここまで>

個々の人材については高く評価しているところからすれば、記者クラブから締め出されていた、ということへのルサンチマンもあるのかもしれませんが、ここまでマスコミ自身が批判の槍玉にされることが、日本では、珍しいことだと改めて思いました。

また、日本の伝統として、外国制度調査に熱心なお家柄、外国からの日本の評価に敏感(というか他人の目を気にする文化)なため、フィガロ記者に評価を尋ねるのも、日本人の視点からは同情の余地があります。
自国の事情にもかかわらず日本記者がその意見を開陳もせずに見解を問われた場合、フランス人記者が不愉快に思うのも、おそらくはコミュニケーションギャップ(フランス人はいつもカフェで政治について議論ばかりしている等)に起因するところもありましょう。

酒井容疑者の件でCO2の話を引き合いに出すところはフランス人らしい視点です。京都議定書の国としては、そういう視点で見られていることも忘れてはならないでしょう。エコの観点からは、ヘリで追いかける必要性について、海上保安庁や海上・航空自衛隊自が海上遭難者を発見したときなどと比較したいところです。

勿論、選挙関連報道でうんざりしているときに(そこが問題だという文脈なのかも知れませんが)、ヘリで追いかける中継映像をみると、自然に興奮して、「ああ、のりPが見えるかな?」なんて思ってしまうわけですので、その国民的興味に答えようとするのも無理もない気がしますが。。難しいところです。

まあ、サルコジがカーラさんとバカンスを過ごしているところを貴国もパパラッチしていたのでは?ということを問い詰めたいです。

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