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2009年11月7日土曜日

english

ダルビッシュ先生の授業は、結局、先週の続きをやり、私の発表は来週に持ち越しとなりました。先週はいったいなんだったんだろう、というくらい、一転してまた熱意のある授業でした。MULTINATIONAL STATE BUILDING の話をしていました。

バスクやカタロンなどを考えれば、スペインはもはや国境なき国家である云々。
その一方で個人がとても政治化されているとも述べていました。つまり、先生の問いは、「フランス人であると同時にコスモポリタンです、という回答がありえるかどうか」というもので、「もちろん、いまや世界はひとつだよね!」と気持ちよく答える人ほど、政治のことを何も考えていないことの証左だといっていました。
国政投票のときにバスクかそれ以外の地域出身かどちらか選べと言われてどうするか、常に先鋭化した政治的問いがそこにはあるということでした。

彼があげる事例として面白いのは、より卑近な例を重視した研究が引用される点です、

例えばテーブルマナーやスポーツというものは、文明化の証左、国家が国民を方向付け、脱動物化(テーブルマナー)しつつ、暴力の独占化・正当化の代償として与える(スポーツ)という理解をすることです。
そして、近年のスポーツジム(音楽を聴きながら走っている)、映画館(ポップコーンを食べながら鑑賞している)現象からこのような国家のあり方の弱体化を読み取ります。すなわち、音楽を聴きながら運動をするというのは、そこでは公共性はなく私の世界のみが存在しているが、政治基盤とは宗教の例を見てわかるように、キリスト教徒は集まればみんなでダンスしていたのだ、それがジムでは見られないことは憂慮すべき事態であり、また、食べることと鑑賞することに同時性は成り立たないと考えるならば「ながら」鑑賞はもはや文明人を逸脱する行為なのだそうです。

その場合、単一民族だと信じている日本で政治に関するアパシーが起こるのは当然となりましょう。


ところで、英語の授業、少しずつレベルがあがってきました。
興味深かったのは、イギリス出身の先生も、来仏当初は複数人数でのコミュニケーションについていけず孤独を感じていたことを吐露していた点、授業内容については、イギリス人はとても慎み深いので「THAT'S TRUE」という回答は不同意の際のキーフレーズになるとの指摘です(but・・・と続けることで)。同時に、フランス人や特にドイツ人は、あまりに直接的に言い過ぎるので、イギリス人にとっては無礼と理解されがちであるとも述べていました。

例えば、塩を取ってほしいとき、

イギリス人。CAN YOU PASS ME A SALT, PLEASE?

ドイツ人。PASS ME A SALT, RIGHT NOW!

というような、違いがあるという例えをしていました。

確かに・・・語学学校のとき、墺人は怖かったですが、イギリス人は親しみやすかった。
欧米=直接フリーキック、ではないのだと悟りました。

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