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2010年10月12日火曜日

英語

今日で、ジャーナリズムの第1科目、ジャーナリズムの社会学が終了。明日(10月12日火曜日)は、私にとってはビザCardの引落日という程度の意味しかないのだが、フランス人の定年退職年齢を62歳にする法律に反対する大規模ストライキが予定されているため(もう4度目。。)、ジャーナリズムの授業は延期になった。このため、私法のマスターの授業に出ることができる。

このように、どちらかが空いても他方が待っているので、月ー金の「就業時間」が、満タンオーライである。
掛けて加えて、月と水は18ー20時に語学学校(フランス語)に通い始めたので、それについていくのと宿題とで、なかなかキャパCITYから脳漿が溢れそうになって、晴れ時々窒息しそうである。

言い換えれば、このようにして、去年よりもフランス語が上達したことで得た「余裕」を、そっくりそのまま、分野的(ジャーナリズム・私法という未知の領域)、時間数的な学業の探求へと充てることができるといえよう。そう確信することだけが、今の自分に許された最上の贅沢なのだと考えることにした。


いやでも実際、フランスのプロ意識の高いジャーナリストが考えていることを直接聞く機会なんて、なかなか得難い。彼らは「特ダネ」を追っているだけではない。自分たちがデモクラシを支えるうえで、選挙で選ばれた政治家とは異なるがしかし劣後しない正当性を有する(「真実」を国民に伝えるという特別の基本的人権と義務をおう)とし、どの範囲で非取材者(権力者)の私的生活が射程範囲に入るのか、速報性と裏腹にある誤報の可能性、及びその訂正の重要性、謙虚な姿勢の重視など、透徹した思想の下に行動していることが読み取れて、興味深い。


さて、本題。
帰宅道すがらスマール教授(去年のマスター論文の指導教授。アメリカ人で英仏バイリンガル)に遭遇。


こちら頭がフランス語に浸食されているため、ハウアーユーと言われても、困ってしまう。

コマンタレブ?といってみたが、やはり英語が返って来た。
ジャーナリズムのところにいますといったら、たまには研究室に顔を出せという。


社交辞令と思うのだけど、一度は顔を出してみるか。
近時の日米関係と日本政治について少し考えをまとめてからにしよう。

ここで問題。
英語も、規則的に勉強しないとどうやら会話が出来ないらしい。
頑張ってはみたものの、オールソー、とか、ロスト、とかそんな程度の単語さえ、フランス語が自己主張をしてはばからない。
英語で論文をかいた以上、英語で話さえろくろく出来ないと、修論が盗作じゃないかと疑われてしまうので、困ってしまう。


これからは英語を話せる人とは英語で話すようにしようと思います。


知恵熱でるかも・・・

1 件のコメント:

  1. 英語もやろうとすると大変ですよね。
    脳の言語野における外国語の領域の中で、
    英語とフランス語が干渉しあうのはしんどいです。
    私にとって一番いやなのが、
    英語を話そうとしてフランス語が出た時に、
    「自分って馬鹿だな~」とすぐ気付くことです。
    あれは結構へこみますね。

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